明治期の鞄関係の実用新案

明治期に出願された鞄関係の実用新案をリストにしてみました。各タイトルをクリックすると、その実用新案の明細書をPDFで表示します。
日本の実用新案制度は特許制度に遅れること20年後の1905年(明治38年)に始まりました。
これは西洋を真似して明治18年に特許制度を創設し、明治29年からドイツとの間で特許の相互保護が行われるまでになったものの、 国際的に見ればその発明のレベルは低く、列強諸外国のいうところの特許と日本の中で言う特許にかなり差があったようです。
そこで、ドイツで運用されていた実用新案制度を創設し、この「ちょっとした工夫」の受け皿として活用したという経緯があるようです。

さて、鞄関係で最初の実用新案は1905年(明治38年)に取得されています。実用新案の対象となっている鞄は、背嚢や図嚢、学生鞄が多くみられます。

背嚢 実明00260 1905年(明治38年)/8/12出願

おそらく一番最初に実用新案に登録された鞄関係の出願です。この実用新案は藺筵(いぐさのむしろ)を、場所によって縦横に使い、軽く、開閉しやすく防水なども優れているとしています。図を見るとたしかに畳おもてのようなデザインが場所によって縦・横に記載されているのがわかります。

背嚢 
出身はわかりませんが、長瀬源次、黒住義三郎が権利者のようです。

背嚢枠 実明00327 1905年(明治38年)/2/10出願

これは、もともと特許として出願したもののようです。実用新案の番号としては先の実明00260よりあとですが、出願日としてはこちらのほうが早いです。特許としてはインパクトが無いので実用新案での承認となったのでしょうか。
ものとしては、「背嚢枠」となっており、背嚢を構成するフレームのことなんだと思われますが、イマイチこの実用新案が想定している背嚢がイメージしづらいので、どう使うものなのかがわかりません。
内容としては、このフレームを竹を網代で編んで革で巻き、堅牢さと軽さを兼ね備えたということなのでしょう。

背嚢枠 

安全時計入兼紙幣入 実明00733 1905年(明治38年)/9/19出願

これは鞄というより、財布のようです。時計と紙幣を効率的に収納する仕組みのようですが、いまいち機構がわかりません。
安全時計入兼紙幣入 
権利者は、出身はわかりませんが、大矢関松となっています。

新式学生携帯器 実明05026 1907年(明治40年)/2/3出願

タイトルは新式学生携器となっていますが、本文は新式学生携便器となっています。 説明によると、ブリキ製の道具箱のようなものです。内部が筆箱のように細かく別れていて収納しやすいというアイデアです。
新式学生携帯器 
権利者は以下の2名が記載されています。
本籍 兵庫県加東郡社村ノ内西垂水村305番地
寄留 神戸市兵庫水木通六丁目73番地ノ1
上月福之介

本籍 兵庫県加東郡福田村ノ内西古瀬村10番屋敷
寄留 神戸市兵庫水木通六丁目73番地ノ1
友藤 太

[雑嚢型鞄 実明05399

1906年(明治39年)/11/21出願](https://japanbag.com/assets/images/patent/JPZ-000005399-000000.pdf) ズック製のマチの無いバッグに関する実用新案です。
雑嚢型鞄 
権利者は、松本福太郎さん
本籍 大阪市東区博労町四丁目116番地
寄留 東京市日本橋区馬喰町三丁目14番地

偶然なのでしょうが、本籍が博労町で、寄留が馬喰町というところがすこし面白いです。

鳥羽雑嚢 実明05741 1907年(明治40年)/4/5出願

鳥羽雑嚢は、地名や人名の鳥羽ではなく、文字通り鳥の羽を生地に織り込んだバッグだったようです。
鳥羽雑嚢 
権利者は、島村愛之助
島根県簸川郡杵築町大字杵築

生徒体育的軽便背嚢鞄 実明06112 1907年(明治40年)/5/3出願

これは、現在のランドセルの原型に近い外見の鞄です。背負うこともできるし、肩からかけることもできるようになっており、側面には文房具を収納するポケットや留め具を備えています。
生徒体育的軽便背嚢鞄 
権利者は、大阪府西成郡大道村大字北大道116番地 沢田信明。

鞄 実明06642 1907年(明治40年)/7/12出願

マチを変える工夫をした肩掛けカバンです。文中にレザー(擬革)という文言が出てきます。当時からフェイクをレザーと呼んでいたことが伺われます。
鞄 
権利者は、大阪市北区西梅田町398番地 大月専平。

軽便図嚢 実明07007 1907年(明治40年)/8/4出願

やや複雑な機構の小型のショルダーバッグです。
軽便図嚢 
権利者は、大阪市東区大手通二丁目50番地 鷲野安兵衛

余川式生徒鞄 実明07033 1907年(明治40年)/8/12出願

これは、鞄の外周を鞘金でガードしていることと、鞄の裏面に、草履をぶら下げるための2つの紐革がついていることが特徴のようです。

余川式生徒鞄 
権利者は、大阪市東区住吉町番外二十番屋敷 余川由太郎

三徳鞄 実明07257 1907年(明治40年)/9/3出願

これはウェストポーチ、ショルダーバッグ、リュックの3ウェイに使えるようにしたので「三徳」鞄ということのようです。 三徳鞄 
権利者は、大阪市南区高津町四番丁90番地 林 由太郎

軽便生徒鞄 実明08091 1907年(明治40年)/12/15出願

マチ幅を確保する口金とショルダーストラップを兼用した構造の 軽便生徒鞄 
権利者は、愛媛県新居郡新居浜村771番戸 高橋 正平

新式学生用鞄鞄 実明08407 1908年(明治41年)/2/13出願

新式学生用鞄鞄 
権利者は、森 ミサホ。女性でしょうか。下関の町外れの山側から松山の町外れの山側に移住しているのですね。
本籍 愛媛県温泉郡荏原村大字津吉51番戸
寄留 下関市大字関後地村1069番地

縫目ナシ鞄 実明09250 1907年(明治40年)/8/8出願

縫目ナシ鞄 
権利者は2名。
東京市本所区仲ノ郷竹町11番地 菊池浪之助
東京市浅草区駒形12番地    中村 英二

「仲ノ郷竹町」となっていますが、中之郷竹町のことでしょう。現在の吾妻橋から東駒形のあたりなので、駒形の人と隅田川を挟んでご近所同志だったものと思われます。

笹浪「レザー」製鞄 実明09599 1908年(明治41年)/3/14出願

笹浪「レザー」製鞄という、すこし変わったタイトルでの出願となっています。明細書を読むと、皮革にさざなみのようなエンボス加工を施してあることが特色のようです。

笹浪「レザー」製鞄 
権利者は、大阪市南区谷町六丁目10番屋敷 林 亀吉

遠足袋 実明11095 1908年(明治41年)/10/16出願

ボディーバッグのような形状のバッグ。おそらくこのような風呂敷の使い方をバッグとしてしつらえたものでしょう。

遠足袋 
東京市牛込区矢来町一番地95号 山口徳蔵

鞄 実明11323 1908年(明治41年)/10/29出願

これはショルダーストラップに工夫をこらした実用新案です。長さ調整や連結ができるストラップを使って、リュック型やショルダー型に変えることができるというもの。この出願の中で注目しているのは、文中に「ランドセル」という言葉が出てくることです。リュックのように背負うこと説明するのに「ランドセル」という言葉を使っています。

鞄 
鞄 

権利者は、遠藤粂三郎。
本籍 宮城県刈田郡白石町大字白石字中町32番地ノ1
寄留 東京市牛込区富久町118番地

姫鞄 実明11956 1908年(明治41年)/11/24出願

姫鞄 

権利者は、秋田県仙北郡大曲町698番地 渡邊 才治。

軽便帯捲「ポケット」  実明12031 1908年(明治41年)/11/23出願

権利者は、富山市二番町15番地 水上 丈之助。
軽便帯捲「ポケット」 

寶袋 実明13013 1909年(明治42年)/3/24出願

寶袋 
権利者は、大阪市東区南本町四丁目149番地 赤松 熊七

実用鞄 実明14065 1909年(明治42年)/6/22出願

実用鞄 
権利者は、大阪府西成郡鷺洲村字南浦江777番地 津田周太郎
今の福島区の海老江や野田阪神あたりになります。

東洋雑嚢 実明14930 1909年(明治42年)/7/30出願

東洋雑嚢 
権利者は、三木 市太郎。
本籍 和歌山県有田郡南広村大字井関50番地
寄留 大阪市南区高津五番町17番地

織物製背嚢型学生鞄  実明15350 1909年(明治42年)/5/26出願

織物製背嚢型学生鞄 
権利者は、広島市小町26番地 井上弥三郎

鞄 実明15481 1909年(明治42年)/10/5出願

某屋根の開閉にショルダーストラップを使うというアイデアです。肩にかけたままでは鞄が開きにくいというデメリットがありますが…。

鞄 
権利者は、大阪市東区南久宝寺町二丁目4番屋敷 塚原福三郎
南久宝寺町は現在でも鞄メーカーや鞄問屋が多く集まっている地域です。

弾水雑嚢 実明15699 1909年(明治42年)/1/23出願

学生用の布製鞄を念頭に置いたもの。かぶせ型の肩掛け鞄の場合、かぶせる部分に隙間ができるので、雨水に弱いという弱点がある。この実用新案は、その部分を工夫し、雨水が入らないようにしたもの。
弾水雑嚢 
弾水雑嚢 
権利者は2名。大阪の九条付近に住んでいる三宅姓の2名です。本籍も隣同士の地番なので、親子または兄弟でしょうか。

三宅 久太郎
本籍 徳島県美馬郡荏原村大字拝原村187番屋敷
寄留 大阪市西区九條町三丁目670番地

三宅 常太郎
本籍 徳島県美馬郡荏原村大字拝原村189番屋敷 寄留 大阪市西区九條町一丁目60番地ノ12号

生徒用「カバン」 実明16038 1909年(明治42年)/10/31出願

これも学生用の鞄。

生徒用「カバン」 

権利者は、大阪市北区下福島三丁目80番地 香山竹治郎

雑嚢 実明16054 1909年(明治42年)/9/8出願

考案者の山口徳蔵は前年にも遠足袋という実用新案を出願しています。

雑嚢 
権利者は、東京市牛込区矢来町一番地 山口徳蔵

雑嚢 実明16740 1909年(明治42年)/11/16出願

雑嚢 
尼子 薫
本籍 京都市上京区堺町通丸太町下ル橘町90番地
寄留 東京市浅草区栄久町70番地

今井 長吉
本籍 千葉県山武郡緑海村字松ヶ谷一番地
寄留 東京市本所区柳島町9番地

伊藤式提鞄兼用記帳台 実明17014 1909年(明治42年)/11/14出願

伊藤式提鞄兼用記帳台 

がまぐち 実明17400 1909年(明治42年)/12/15出願

がまぐち 

紙挾付鞄 実明18072 1910年(明治43年)/5/29出願

紙挾付鞄 

通学用学嚢 実明18377 1910年(明治43年)/4/14出願

通学用学嚢 

実用鞄 実明18907 1910年(明治43年)/7/8出願

実用鞄 

学生用新案雑嚢 実明19317 1910年(明治43年)/4/29出願

学生用新案雑嚢 
宮崎県東諸県郡本荘村大字武田87番戸 川越平次
現在の宮崎県国富町にある田園地帯の集落。全体的に都会からの出願が多い中、鞄産業とは無縁のように思われる場所から出願していることに少し驚きます。

改良雑嚢 実明19656 1910年(明治43年)/5/14出願

改良雑嚢 
大阪市南区高津町六番丁11番地 福井吉太郎
これは現在の高津3丁目あたり。高津には道頓堀川からの引込みの堀(高津入堀川)があり、黒門市場などに物資を運ぶ運搬路として活用されていました。
出願された明治43年頃は、堀が延伸され、現在の高速道路大阪環状線に沿う形で、難波入堀川・いたち川を通って木津川・芦原橋付近につながっていました。

学生雑嚢 実明21839 1911年(明治44年)/6/12出願

学生雑嚢 
大阪市南安堂寺橋通四丁目197番屋敷 可能政七

礒田式鞄 実明22158 1911年(明治44年)/6/17出願

礒田式鞄 
大阪市東区南久太郎町四丁目83番屋敷 礒田常次郎
礒田常次郎は、1892年(明治25年)の大阪商工亀鑑にも出てくる人物です。

学校用具・手提カバン 製造販賣
大阪東區北久太郎町心斎橋東へ入
磯田常次郎

とあります。

改良鞄 実明23032 1911年(明治44年)/9/28出願

改良鞄 
考案者が3名おり、出身は岡山・東京・兵庫とバラバラだが、一人は大阪の桜川で、二人は 藤原長四郎という西区梅本町(現在の松島・本田一丁目付近)に身を寄せているという3名。

木村慶四郎

  • 本籍 岡山県上道郡高島村祇園10番地
  • 寄留 大阪市南区難波桜川町三丁目1368番地

村田茂三郎

  • 本籍 東京市下谷区竹町7番地 渡邊政吉方
  • 寄留 大阪市西区梅本町62番地 藤原長四郎方

上村かの

  • 本籍 兵庫県川辺郡立花村字東難波一番地 上村松太郎
  • 寄留 大阪市西区梅本町62番地 藤原長四郎方

第二礒田式鞄 実明23952 1911年(明治44年)/7/3出願

大阪市東区南久太郎町四丁目83番屋敷 礒田常次郎
第二礒田式鞄 
第二礒田式鞄 

両用図嚢鞄 実明24379 1911年(明治44年)/12/5出願

両用図嚢鞄 
大阪市南区東新瓦屋町13番地 小野虎吉
東新瓦屋町は、現在の谷町六丁目と松屋町の間位にあった町名。大正から昭和にかけては、東賑町と呼ばれていた。

携帯図嚢 実明24927 1912年(明治45年)/2/22出願

携帯図嚢 
東京市麹町区三番町68番地 網野亀吉

改良雑嚢 実明27018 1912年(明治45年)/6/13出願

出願人      東京市下谷区竹町一番地 柴田愛吉
実用新案権者 東京市下谷区竹町12番地   箙瀬亀吉 (たぶんヤナセと読むのでしょう)

竹町は、現在の新御徒町駅周辺、台東区東にあたります。

改良雑嚢 

袋物金具 実明27821 1912年(大正元年)/9/26出願

袋物金具 

改良学生鞄 実明27867 1912年(明治45年)/5/18出願

改良学生鞄 


  • 公開日 2021-05-20
  • 最終更新日 2021-05-20
  • 投稿者 太田垣