国立公文書館 アジア歴史資料センターのデータベースで、「カバン」を探索してみると、明治7年頃から書類への記述が残っています。 おおむね明治10年頃から記述が増えてゆきます。ただしいずれも当初はカタカナで「カバン」であり、漢字の「鞄」や「革包」「革盤」といった表記はみつかりません。
漢字ではっきり「鞄」という文字が確認できたのは、明治25年3月16日 熊本憲兵隊へ鞄備付の件でした。
データベースを「鞄」で検索すると、さらに古い年月の記事もいちおうヒットして結果が出てくるのですが、精査してみると、その多くは「靴」などの文字を誤認識しているものでした。今のところ、「カバン」を示す目的で記載された「鞄」という記述は明治25年まで見当たりません。 漢字の「鞄」が大きく増えるのは、日露戦争で被害を受けた人々への補償が記録されている明治37年頃です。
胴乱という用語は、慶応年間から使われていたようです。このキーワードについてはいずれ考察します。
また、下記には示しませんでしたが、西南戦役の史料では、「胴乱」という言葉が使われているもの(会計官日記抄上(1) 29コマ) もあります。
おそらく、購入時には「胴乱」と呼んでいたものが、同じものであっても時代が下るにつれ、カバンと呼ぶようになったのではないかと思われます。 別途整理したいと思います。
明治前半にもっとも良く使われていたのは片仮名のカバンだったようです。以下にカタカナで「カバン」を検索した結果のリストを示します。これによると初出は明治7年(1874年)4月で、記述が増えるのは西南戦争が発生した明治10年(1877年)です。 民間では明治20年頃になると「鞄」という漢字がポピュラーになってくるのですが、この史料群を見る限り、明治30年以降も片仮名表記の「カバン」が散見されます。
「カバン」そのものがまだ一般的では無いと推測される案件のひとつとして、1897年(明治30年)07月08日の電信暗号盗難に罹りたる件 という記録があります。これは、カバンに入れていた暗号が盗まれたという大事件ですが、速報の電信で「カバン」と表現していたものが、上司への正式の報告書では「革製小嚢」という表現に変更されていました。明治30年になっても「カバン」という言葉がまだ十分普及していなかったのか、あるいは、使うのが憚れるような風潮や事情があったのでしょうか。