この文章は、以前「鞄談義2」に寄稿した記事に大幅に加筆修正を加えたものです。 調査資料が増えてきたため、現在はこのページを総まとめとし、個別の考証は章ごとの詳細ページに分けて掲載しています。結論だけ知りたい方はこのページを、考証の過程を楽しみたい方は本ページ末尾の連載目次から各章をお読みください。

なお、歴史学者や時代考証学者のような綿密かつ網羅的な考証はできていませんので、間違いや勘違いがありましたら、温かい目で見ていただき、ぜひ正しい情報をお寄せください。

カバンという言葉の語源と「鞄」という漢字の使用の起源 まとめ

「カバン」という言葉はいつから使われたか

「鞄」という漢字を最初に使ったのは誰か

「鞄」という漢字については、東京・川上商店に勤務していた谷澤禎三(銀座タニザワの創始者)が、明治10年に丸の内にオープンした東京府勸工場(かんこうば)にカバンを陳列した際に「鞄」という漢字を現在の意味に使用したのがはじまりとされています。(『東京鞄商工同業組合沿革史』参照)

同業者からの異論もないことから、谷澤禎三はじまり説でよいと思います。しかし、物証はなく、実際にいつから使いだしたのかは曖昧であり、時系列的にも若干の疑問があります。(詳細は『谷澤禎三と「鞄」の字の誕生』参照)

語源は何か?何語なのか?

カバンという言葉の語源については、諸説ありますが、個人的には警察制度と共に、フランス語として入ってきた可能性を考えています。(『カバンは何語なのか ~カバン=kabas起源説、夾板起源説について~』参照)

別説 山城屋和助ー森田直七説

なお、明治5年頃、豪商山城屋和助の下で働いていた大阪の森田直七が、見よう見まねで鞄をつくり、これを大阪の由良商店が仕入れて、大阪の名士等に販売したという話があります。そして、この時に由良商店が「カバン」という名称を発案・使用したという説もあります。(『森田大人と鞄』参照)

また、カバン以外に、山城屋和助が袋物を日本に持ち込んだという説や、がま口のカバンを日本に持ち込んで国内製造しはじめたという説もあります。しかし、これらはいずれも裏付けは無く、重要な部分の信憑性はあまりありません。

結論 — 「カバン」と「鞄」はこうして広まった

明治以前から、現在でいう鞄のようなものは日本に存在していました。たとえばポシェットのようなものは胴乱(どうらん)などと呼ばれていました。

幕末~明治初期、西欧の文化を急速に取り入れようとしていた日本は、1867年のパリ万博に視察団を送り、フランスの警察制度を手本に日本に警察制度を導入しようとしていました。

その過程でいくつかのフランス語が日本語に転用され、現場に根付いた可能性があります。たとえば革ベルト:ceinture(サンチョロ)、ズボン:juponなどにその可能性を感じます。カバンについても、フランス語 cabas(キャバ)が現場での通称として根付いていた可能性が高いと思われます。

しかしこうした言葉は、あくまで現場での通称・俗語であるため公文書などには登場しませんでした。たとえば革ベルト(サンチョロ)は革帯、ズボンは洋袴、カバンは手提や胴乱といった具合です。

一方、「カバン」という言葉の初出が1873年(明治6年)のウィーン万博関連の書物だということは、海外の輸出品としての価値を感じていた役人が海外の万博に出展する際の言葉として使用していた可能性があります。ただし、この頃の「カバン」は輸出産品としての可能性のある竹籠などの工芸品として検討されていたようです。

翌1874年(明治7年)にようやく「革カバン」という表記が現れます。1877年(明治10年)頃からは徐々に「革包」という表現が増えてゆきますが、最初は小箱も家具も革で包めば文字通り「革包」と表現しており、「革包」に「カバン」という読みを当てたことがはじめてわかるのは第二回内国勧業博覧会が開催された1881年(明治14年)です。その後、1884年(明治17年)に商標条例が施行され、条例の中に革製品の区分として「革包」と書いて「カバン」のフリガナの表記を見ることができます。 なお、この頃の表記には、「カバン」の他に「カパン」という表記も見られます。

このようにして表記がほぼ固まったかのように見えた「革包」ですが、1889年(明治22年)の『言海』出版によって一変します。カバンに「鞄」の文字を当てた項が掲載されたのです。辞書としてベストセラーとなった『言海』によって、「鞄」の文字は急速に地方や政府資料等に普及していき「革包」は少数派となっていきました。

さかのぼること1878年(明治11年)。銀座の老舗鞄店タニザワの創業者である谷澤禎三氏が、竜の口(現在の丸の内あたり)の東京府勧工場ではじめてカバンに「鞄」の文字を当てて販売していたと、本人が証言した記録が残っており、同業者もこれに異議を申し立てていません。しかしこの時は「鞄」という当て字は世間に広がりませんでした。

しかし国語辞書『言海』の出版、翌1890年(明治23年)の第三回勧業博覧会での「鞄」の出店、谷澤鞄店の銀座1丁目に移転し「鞄商廛」の看板を掲げて商売を始めるなどをもって、「鞄」という漢字が急速に広まっていきました。

まとめの年表

西暦(和暦) 出来事
1871年(明治04年) 大阪で、森田直七が山城屋大阪支店に勤務しはじめる。
1872年(明治05年) 陸軍省衆規渕鑑抜粋の中に「ランドセル」の記載。以降、背嚢の記載に変わる。
同年 英国單語図解に、knapsack 子ップスヱック 負嚢 ランドセルの記載
1873年(明治06年) ウィーン万博出品物に「カバン」の記述。これが初表記か。ただし竹で編んだバスケット状のものと思われる。
1874年(明治07年) 谷澤禎三、川上藤兵衛に師事し川上商店で丁稚奉公をはじめる。
同年 12月、『府県物産表』の大阪に「革カバン」の記述。東京はまだカバンの表記ではない。
1875年(明治08年) 明治5〜10年ころ、大阪・由良商店が森田直七の製品をカバンと名付けて販売するとの伝承。
1877年(明治10年) 3月、第一回内国勧業博覧会開催。谷澤禎三が革製の「提嚢」出品。
同年 4月、新潟新聞に「是を以って今カバンの中を掻探し」の記事
同年 11月、大日本各港輸出入物品九箇年一覧表に革文庫=Trunkとの記載
1878年(明治11年) パリ万博に姫路の浦上氏が「革カパン」出品。谷澤氏勧工場で「鞄」の漢字を当てて販売開始か。
同年 この頃、森田直七は名古屋に滞在し、菱屋・竹内名義で名古屋博覧会にカバンを出品。
1879年(明治12年) 京都博覧会にもカバンの出典があるが、竹や籐製品と革製品が混在
1880年(明治13年) 宮城県博覧会にカタカナで「カバン」の記述。
1881年(明治14年) 第二回内国勧業博覧会開催。「革包」の表現多数。「カバン」と読む。
1884年(明治17年) 商標条例施行。革製品の区分に「革包」と書いて「カバン」のフリガナの表記
1885年(明治18年) 5月、『浪華商工技芸名所智掾』「武具カバン」の記述
1886年(明治19年) 3月末、『言海』の草稿上奏。草稿にはまだ「鞄」の文字は無く、カタカナの「カバン」のみ。
同年 末広鉄腸著『雪中梅』に「之れに革手提(カバン)と毛布(けっと)包みを担はせて案内者となし」
1887年(明治20年) 谷澤氏独立開業。(京橋南伝馬町の可能性)
1888年(明治21年) 3月、『愛知県下商工便覧』に「カバン」の記述。
同年 7月、『最大効益大阪買物便利』に「カバン」の記述2件。
1889年(明治22年) 8月、『北越商工便覧』に「革盤」「かばんるい」の記述。
同年 10月、『言海』第二冊出版。辞書にカバンとしての「鞄」初出。
1890年(明治23年) 7月以前に谷澤氏、銀座に店舗移転。(鞄商廛の看板を掲示)
同年 7月、『東京買物独案内』出版。谷澤を含む鞄店掲載多数。
同年 7月、『東京百事便』出版。「革鞄店」としての谷澤を含む12店掲載。
同年 7月、第三回内国勧業博覧会で「鞄」の記述。

連載「カバンの語源を探る」 — 各章の詳細ページ

鞄について、思いのままにあれこれ語るとき、避けて通れないのが「カバン」というこの言葉自体に関する蘊蓄でしょう。だれでも簡単に語れそうなこの蘊蓄ですが、実はとても奥が深いのです。ここから先は、上記の結論に至るまでの考証の旅です。一次資料の引用を豊富に収録していますので、順に読み進めていただくと、明治の日本に「カバン」という言葉と「鞄」という文字が根付いてゆく過程を追体験していただけます。

  1. 辞書に見る「鞄」 ~大漢和辞典・日本国語大辞典・言海~ 「鞄」という漢字は、もともと中国では「革をなめす職人」を意味していました。この字に「カバン」の意味を与えたのは誰か。『言海』の草稿と私版の違いから、辞書編纂者・大槻文彦の足取りを推理します。
  2. 谷澤禎三と「鞄」の字の誕生 ~銀座タニザワと東京府勧工場~ 「鞄」の字を考案したと伝わる銀座タニザワ初代・谷澤禎三氏。本人の回想録『五十五年の回想』と明治天皇のエピソードを検証します。
  3. ウィーン万国博覧会(1873年)に見る「カバン」の初出 現在知りうる限り最古の「カバン」の活字記録。ただしその正体は竹網代のバスケットでした。(※現在調査中のため今後加筆予定)
  4. 内国勧業博覧会に見るカバン ~「革包」から「鞄」へ~ 明治10年・14年・23年の三回の内国勧業博覧会の記録から、「提嚢」→「革包」→「鞄」と表記が変遷していく過程を追います。
  5. 明治の博覧会に見るカバン ~名古屋・パリ・京都・宮城~ 名古屋博覧会の褒賞状のカタカナ「カバン」、パリ万博の「革カパン」など、地方・海外の博覧会記録を渉猟します。
  6. 明治の店舗リストに見る鞄店 ~『東京買物独案内』ほか~ 江戸の『江戸買物獨案内』から明治23年の『東京買物独案内』まで。「鞄」の文字が東京の街に突然溢れ出す瞬間を店舗ガイドから捉えます。
  7. 大阪・名古屋の鞄業界団体の始まり ~鞄親会と鞄盛会~ 大阪鞄革具製造組合の設立年をめぐる謎、名古屋の名工・竹内常次郎と「鞄盛会」の話。
  8. 統計・雑誌・小説に見る「カバン」と残された謎 『府県物産表』の統計、川柳雑誌、政治小説『雪中梅』などの傍証資料と、今なお残る三つの大きな謎について。

なお、日本で初めて鞄を製作したのは東京ではなく大阪だと伝わる森田直七については、大正7年の稀覯本『森田大人と鞄』の内容を中心に、別ページ『森田大人と鞄』に詳しくまとめています。

謝辞

筆者はjapanbag.comを1997年より主宰・運営していますが、サイトの機能の一つとして掲示板機能を用意していました。2006年、その掲示板にEXTRA BAGさんという方がコメントを書き込まれました。

内容から推察するに本職で歴史を研究されている方と思われる深い考察内容でした。同氏は、明治第三回内国勧業博覧会で第一部第八類の審査官の主任が西村勝三という人物で、明治の初めに伊勢勝造靴工場・製革工場を設立して軍靴を製造した人物であること。そしてこの人物の兄が西村茂樹といい、大槻氏の文部省時代の上司で辞書の編纂を指示した人にあたることを指摘されています。

西村勝三氏と大槻氏の関係についても研究すれば何か真実が出てくる余地があるように思います。

その外、本項の執筆にあたっては、多くの鞄職人様、鞄メーカーの方、レザークラフトショップの方、その他多くの方々のご支援をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。


  • 公開日 2021-02-01
  • 最終更新日 2026-09-26
  • 投稿者 太田垣