本ページは連載『カバンの語源と「鞄」という漢字の由来』の第1章です。「カバン」という言葉と「鞄」という漢字がいつどのように結びついたのか、まずは各種の辞書を手がかりに探っていきます。

語源のわからない「かばん」という単語

「カバン」という言葉は、私の知る限り江戸時代の文献からはまだ見つかっていません。明治10年代から現れ始め、明治20年代に漢字の「鞄」という文字が出現します。

いわゆる文明開化の流れの中で、生活様式が変わり、西洋式の近代的な軍隊が組織され、制服や軍靴等が調達されるに至り、新しい西洋文化が大量に流れ込んできた時代であり、「カバン」もその中の一つであるはずなのですが、なぜか語源がはっきりしません。それどころか、そもそも日本語なのか外来語なのか、外来語だとするとどこから来た言葉なのか、そういう基本的なこともほとんどわかっていません。

また中国語の「夾槾」を由来とする説、オランダ語のkabasが変化した説等がありますが、どのような根拠に基づいてそのように主張しているのか、残念ながら未だ根拠資料に出会っていません。

辞書に見る鞄

「大漢和辞典」に見る「鞄」という漢字

漢字としての鞄がどのようになっているのか、手始めに諸橋轍次著『大漢和辭典』をひいてみましょう。

【鞄】
[一]ハク    〔集韻〕匹角切 p’ao2  
[二]ホク・ボク 〔集韻〕蒲沃切  
[三]ハウ・ベウ 〔集韻〕蒲交切  
[四]ハウ・ベウ 〔集韻〕部功切  
[五]ハウ・ベウ 〔集韻〕皮教切 pao1  

[一][二][三][四] (1)かはつくり。なめしがはの工人。通じて鮑(12-46074)につくる。  
〔説文〕鞄、柔革工也、从革包聲、讀若朴、周禮曰、柔皮之工鮑氏、鮑即革也。  
〔周禮考工記、總目、攻皮之工、函鮑韗韋裘、注〕鮑、書或爲鞄。  
(2)或は★(12-43117)・◆(12-43013)に作る。〔集韻〕鞄、或从韋从陶。  
[五](1)用具の皮。〔廣韻〕鞄持皮。(2)かはつくり。〔集韻〕鞄、柔皮工。  
[邦]かばん  
出典:諸橋轍次『大漢和辭典』巻十二 P157 (P12754)  

★=鞄の異字体。鞄の革部が韋に変化した字形。
◆=上に「陶」下に「革」

『大漢和辭典』で引用している漢文の大半は、中国の康煕字典によっているようで、康煕字典にも同じような引用が確認できます。ここで大切なのは中国における「鞄」という漢字は、持ち運ぶ道具である「カバン」のことではなくて、革をなめす職人のことを指すということです。

康煕字典

ちなみに、この『大漢和辭典』の中で革へんの漢字を見ていると、鞍(くら)、靶(たづな)、𩊱(しころ)、鞅(むながい)、鞐(こはぜ)、勒(くつわ)、鞬(ゆみぶくろ)等、数多くの皮革小物や道具を示す漢字を見ることができますが、ものを入れて持ち運ぶ道具を意味する漢字は見当たらないというのも面白いところです。

とにかく「鞄」という文字(漢字)を作ったのは、はるかいにしえの中国人ですが、そこには「カバン」という意味は含まれておらず、日本人がどこかのタイミングで「カバン」という意味を付与したのです。では、それはいつどこからなのでしょうか。先のエピソードにあるとおり、明治中期の銀座タニザワなのでしょうか。

『日本国語大辞典』に見る「鞄」の記述

それでは「鞄」という文字がはじめて文献に現れる時期を探索してみましょう。用語の初出等に詳しい小学館の『日本国語大辞典』には、次のように書かれています。少し長いのですがご紹介しましょう。

かばん【鞄】
〔名〕(ふみばさみの意の中国語「夾板」の日本語読み「きゃばん」または櫃(ひつ)の意の中国語「夾槾」の日本語読み「きゃばん」「きゃまん」から出た語。「鞄」は元来、なめし皮、また、それを作る職人の意。明治期に「カバン」をあてたもの)皮またはズックなどで作り、中に物を入れる携帯用具。もとは今のトランクのような形のものをさしたが、現在では通勤通学などに用いる手軽なものをいう。
*新潟新聞―明治10年(1877)四月七日「是を以って今カバンの中を掻探し、反古にひとしき鼻紙の皺を展べ 
*雪中梅(1886)〈末広鉄腸〉下・一「人足一人(いちにん)を雇ひ、之れに革手提(カバン)と毛布(けっと)包みを担はせて案内者となし」

雪中梅

*思出の記(1900―01)<徳富蘆花>三・一二「伯母は荷造りをした鞄(カバン)の傍(わき)に座って」
*風俗画報―三四四号(1906)横浜より父島まで「毛織物も虫害を受け易き故に締まりよき革包(カバン)か左もなくば和製支那革包(カバン)等を携帯すべし」

思出の記

〔語誌〕幕末・明治初期の対訳辞書等における訳語には見あたらず、明治10年頃までの小説等には「胴乱」という語がこの意で使われていた。「カバン」は、10年代から20年代にかけて急速に定着していく。当て字に初めは「革手提」「革袋」「革包」が使われていたが、明治22年の大槻文彦の「言海」に初めて「鞄」の字が当てられる。
〔発音〕〈なまり〉ガッパン〔岩手・秋田〕ガバ〔福島〕ガバン〔青森・岩手・仙台音韻・仙台方言・秋田・福島・栃木・埼玉・埼玉方言〕カパン〔長崎〕カボン〔紀州・和歌山県〕ガンバ〔津軽語彙〕〈標ア〉(0)〈京ア〉(0) [辞書]言海 [表記]鞄(言)

出典:『日本国語大辞典』第二版(第3巻)おきふ~きかき P911

『日本国語大辞典』によると、幕末・明治初期の対訳辞書等には、「カバン」という訳語は見あたらないこと、漢字で「鞄」という文字が「カバン」の意味で使われたのは、大槻文彦の『言海』が最初であることが述べられています。ちょっと考えるとおかしい話です。普通、日常のあちこちや書物に記載された言葉があって、それを項目として並べ、説明するのが辞書であるはずなのに、他の書物などには一切掲載されておらず、辞書に先にその漢字・読み方・意味が載ってしまうという逆転現象が起こっているのです。

なお、中国語「夾板」「夾槾」由来説や、オランダ語kabas由来説については、個人的には否定的な考えです。

昔の英和辞典・和英辞典に見る「鞄」の記述

つぎに1867年(慶応3年)に、横浜で発刊されたヘボンの『和英語林集成』を調べてみましょう。今は便利な時代で、自宅に居ながら明治学院大学図書館の『和英語林集成』の初版をインターネット上のデジタルアーカイブスで検索することができます。まずは和英の部から。

Ka-ban, カバン, 加番, n. A reinforcement to the number of a guard or watch.
―szru, to increase a guard.

出典:ヘボン『和英語林集成』初版 (P168)

初版ではない1872年版は、国会図書館デジタルコレクションでも参照できます。記述は同じです。 ヘボン『和英語林集成』 P192

残念ながら、見張り役を増員するという意味の「加番」しか掲載されておらず、持ち運ぶ道具としての「カバン」は載っていません。「胴乱」も掲載されていません。ちなみに、「行李」は掲載されています。

Kōri, カウリ, 行李, n A trunk, or box made of cane, used in travelling.

出典:ヘボン『和英語林集成』初版 (P227)

旅行に使用する、籐製のトランクや箱とあります。文字通り行李であり、私たちの想像するいわゆるバッグとは少し遠い感じです。その外、皮袋、皮籠、革靴等の見出し語は載っています。今度は英和の部でバッグをひいてみます。何と書いてあるでしょうか。

Bag, Fukuro; tawara; hiyō.
出典:ヘボン『和英語林集成』初版

(P7)

バッグは「袋」であり「たわら」と訳されています。英和の部では他に、靴(Shoe)や靴屋(Shoe-maker)等は載っています。もしこの時期に「カバン」という言葉が靴と同程度に一般的になっていたのであれば、「たわら」という表現より前に「カバン」と書かれていてもおかしくありません。

このように『和英語林集成』が示すことは、幕末慶応三年の時点で、「靴」は既に漢字を含め一般的になっているものの、「カバン」のほうは、漢字はおろか「カバン」という言葉さえ未だ一般的ではなかったということです。

次に、時代が下って明治19年頃にいくつかの訳者から出版された「会話独案内」を見てみると、 trunkをカバンと読み、漢字で革箱(カワバコ)、皮櫃(カワヒツ)、革嚢(カワブクロ)等と訳していることが確認できます。

「幕末・明治期教科書に見るカバンの記述」のページも参照してください。

『言海』に見る「鞄」の記述

それでは次は鞄という漢字の初出とされる辞書『言海』で「カバン」をひいてみましょう。

カバン (名) 鞄 [洋語ナラム]革、布ナドニテ包ミ作レル匣、近年、西洋ヨリ入リ、専ラ、旅行ノ用トス。

出典:『私版日本辭書言海』(第二巻)
明治二十二年(一八八九)十月三十一日出版の複製(大修館書店) P207

国会図書館デジタルコレクションに収蔵されている言海でも確認できます。

編者大槻文彦氏がこの辞書をまとめた経緯を調べると、「鞄」を採録したもう少し詳しい経緯が分かるかもしれません。少し見てみましょう。

大槻文彦氏は、1847年(弘化4年)生まれで、『言海』で「カバン」の項を出版した1889年(明治22年)は、42歳でした。幼少より漢文詩文を学び、江戸開成所で英学を、仙台の藩校で蘭学と数学を修めているエリート官僚です。

彼は1875年(明治8年)、28歳の時に明治政府の指示で辞書編纂を開始し、9年の年月を要して明治17年に一旦完成させたにも関わらず、その稿本は、出版されることなくお蔵入りとなってしまいます。
1887年(明治20年)になって文部省に「自費出版するなら原稿を返す」と差し戻され、結局自費出版することになってしまいました。編纂中に家が火事になったほか、完成間際になって30歳になる妻や五歳になる娘を次々に病気で亡くすなど結構波乱万丈の人生を歩んでいます。涙なくしては読めない詳しいいきさつは、言海の奥書に書かれている「ことばのうみのおくがき」を読んでいただきたいと思います。今ではインターネットの青空文庫などで、無料で読むことができます。

話を戻すと、言海の書名に「私版」とついているのは、これが自費出版だったからなのです。この辞書はあいうえお順列を初めて考案・採用するなど近代的な辞書の体裁を取っておりたちまち辞書のスタンダードとなります。そして『大言海』として版を重ねながら昭和十年代までその確固たる地位を築いていました。

さて、ここで調査を終えていれば、日本国語大辞典の記述を再確認するだけに終わったのですが、調査の過程で私版に至るまでの草稿が、「稿本」として、復刻(原稿を写真撮影したもの)されていることを知りました。そしてそこでは「カバン」の項の説明が「私版」とは異なった説明になっているのです。

カバン (名) [洋語ナラム、詳ナラズ]手提ノ革袋ノ名、近年、西洋ヨリ入ル。
出典:『稿本日本辭書言海』(第一巻) P411

「稿本」は活字ではなく、手書きの資料です。あちらこちらに校正のあとが入っており、右の説明書きのうち「詳ナラズ」のところに薄く鉛筆で丸い印がつけてあります。おそらく「詳ナラズ」という表現が気になったのか、何らかの理由で洋語であることに確信が持てたのか、いずれかによって、「稿本」から「私版」になる過程で、「詳ナラズ」が削除され、確定事項となったものと思われます。

そしてなにより「稿本」と「私版」の大きな違いは、稿本ではまだ漢字の「鞄」が使われていないことです。つまり、稿本製作段階では、大槻氏は「カバン」という言葉は認知していたものの「鞄」はおろか「革包」や「革盤」といった漢字と結びついていなかったことがわかります。

また、説明文も「手提の革袋の名」という曖昧な認識から、「革、布製で包んで作る入れ物」、「専ら旅行用」と、やや具体的な認識に変わっています。材質についても稿本では革製という認識だけだったものが、布素材に広がっています。そして手で提げるだけではなく、旅行に使用するもう少し大型のものも「カバン」と称すことを新たに認識しているようです。

さらに、1884年(明治17年)2月に「学芸志林」という東京大学の出版物の中で、大槻氏が「外来語原考」という研究を寄稿しています。 そこにはアからカまで、120語程度が採録されており、その中に「カバン」が記載されています。『学芸志林』14(79),東京大学,1884-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1558722 (参照 2024-03-23)

カバン 近年、手提ノ革袋ノ名トス、語源ヲ知ラス

明治17年というと、谷澤氏が勧工場で「鞄」の漢字を使ってカバンを売り始めて6年になります。この間、大槻氏は「カバン」という新しい外来語の存在には気付いていたが、「鞄」の存在には気付かなかったということになります。裏返せば、大槻氏の長い辞書編纂期間のうち「稿本」と「私版」の間のどこかで、「鞄」の文字を見つけたのに違いありません。それはどこだったのでしょうか。新聞や雑誌でしょうか。それとも銀座タニザワの店頭だったのでしょうか。ここで少し時系列を整理してみましょう。

1875年(明治08年)  大槻氏、文部省報告課にて編纂開始  
1878年(明治11年)  谷澤氏、勧工場で「鞄」の文字使用  
1884年(明治17年)  大槻氏、学芸志林にカバンの項を記載、同年、『言海』草稿完成  
1886年(明治19年)  03月23日  大槻氏、草稿校正完成  
1887年(明治20年)  6月東京府勧工場が、麹町区永楽町2-1から上野公園に移転。この頃谷澤氏、独立し京橋に店舗開店  
1888年(明治21年)  10月26日  大槻氏の元へ政府より稿本が戻る  
1889年(明治22年)  10月31日  大槻氏、『言海』第二冊(か~さ)出版
1890年(明治23年)  谷澤氏、銀座に店舗開店(鞄商廛の看板) この頃明治天皇のエピソード   

稿本完成が1886年(明治19年)の3月。それから第2冊が出版される1889年(明治22年)の十月頃までのどこかで、大槻氏はこの間のどこかで「鞄」という文字と現物を見て原稿を校正したと考えられます。

一方、谷澤氏が銀座一丁目にお店を開いたのは1890年(明治23年)です。7月には既に広告が載っていますので、7月以前にお店を開いたと思われます。銀座一丁目の店舗には、看板として書家の巌谷一六に「鞄商廛」という揮毫をお願いしたということですが、少なくとも大槻氏は書家の巌谷一六氏の「鞄商廛」という看板を目にして草稿を改訂したのではなさそうです。巌谷氏がむしろ言海を見て鞄の文字を揮毫した可能性の方が高いとさえ考えられます。

しかし谷澤氏の「鞄」という文字を見る機会が全く無かったのかというと、そうは言えません。後に詳しく考察しますが、谷澤氏は1878年(明治11年)の東京府勧工場(今でいうショッピングモール)ではじめて「鞄」という文字を使ったと述懐しており、その後、1887年(明治20年)の11月に独立したと言っています。勧工場でも十年近く使用し、1887年の独立から1890年(明治23年)の銀座一丁目の店舗オープンまでの間、京橋二丁目の店舗で商いを行い、そこでも「鞄」の文字を使っていた可能性があります。

これは丁度、大槻氏が稿本を元に校正を行い、出版作業に勤しんでいた時期と重なります。 勧工場の始まりは、勧業博覧会の残り物を売りさばくためのものでしたから、自然と西洋の新しいものや、地方の珍しいものが集まっていたと考えられ、用語を採取するために大槻氏が勧工場を訪問していたと考えてもおかしくはないでしょう。

ちなみに、言海の奥付には、「東京府士族大槻文彦 府下下谷区金杉村百三十番地」と書かれています。金杉村というのは現在でいう日暮里や根岸のあたりとなります。大槻氏は自宅のあった日暮里から銀座や京橋あたりまで、どの程度出歩いていたのでしょうか。この時期、山手線はまだ上野まで伸びていません。上野まで延びるのは遥か先の1909年(明治42年)の話です。しかし新しい言葉の採集のため、上野の勧業博覧会や新しい産業の息吹を感じる丸の内、日本橋、銀座界隈の勧工場に足しげく通っていたと想像しても罪ではないでしょう。

ここで改めて注目しておきたいのは、谷澤氏の人脈についてです。谷澤が「鞄商廛」という看板を依頼した巌谷一六は「明治三筆」と呼ばれる書家として有名である一方、明治政府成立以来のエリート官僚であり1886年(明治19年)から1890年(明治23年)までは元老院議官でもありました。(当時、巌谷一六氏は麹町平河町五丁目に住んでいたことが1884年(明治17年)出版の『東京案内 (70丁)』というガイドブックに記されています)

また、あんぱんを天皇陛下に献上したことで有名な銀座のパン屋、木村屋は、明治七年に山岡鉄舟 揮毫の看板を贈呈されています。そういった事から考えると、銀座の地で店舗を出すにあたって、偉い人の看板は強い広告効果を持っていたのではないか、そして谷澤氏は、人づてに現役(またはほんの少し前まで)元老院議官であり、明治三筆と呼ばれる書家に依頼できる人脈を持っていたと考えてしかるべきです。鞄を販売する相手は、氏族や高級官僚、軍人など、西洋文化をより速く吸収しようとしている人々であったことは想像に難くありませんから、谷澤氏が得ていた人脈も相応のものだったのではないでしょうか。加えて大槻氏もその顧客の一人であったと考えるのは出来すぎでしょうか。

実は大槻氏の『言海』出版披露パーティはそうそうたる顔ぶれで行われています。1891年(明治24年)6月23日、旧仙台藩の先輩で東京府知事の富田鐵之助の主催で、芝・紅葉館(現在、東京タワーが建っている場所にありました)で『言海』の出版祝賀会が開催されています。時の総理大臣伊藤博文をはじめとし、榎本武揚、勝海舟、谷干城、土方久元、山田顕義、大木喬任、加藤弘之、津田真道、陸羯南、矢野龍渓 ら、政治家、軍人、ジャーナリスト等、そうそうたる顔ぶれがそろったようです。これから見ても大槻氏は単なる役人ではなく、政界、メディア界に名の知れた知識人だったことがわかります。(巌谷氏はこのパーティには出席していたのでしょうか)

なお、大槻氏の著作の中には『東京須覧具』(とうきょうスラング)という語彙集があります。これは「稿本」から「私版」を通り、大言海に至るまでの研究メモのようなもののようで、そこには遊女の言葉や東京弁等が二千七百語あまり収集されているようですが、この中には「カバン」なる言葉は見当たりませんでした。

『世界大百科事典』に見る「鞄」の記述

さて、話を現代の百科事典に戻しましょう。今度は平凡社の『改訂新版 世界大百科事典』で「かばん」を引いてみます。ここにも大変興味深いことが書いてあります。  

(略)一八七八年、名古屋の博覧会に大阪の森田直七が出品した際の褒賞状には、かたかなでカバンと書かれてあった。また同年、東京府勧工場に谷澤禎三が出品した飾箱の上の看板に〈鞄〉の字が使われたが、これは革包の二字を合体したもので、当時一般には革盤(かわばん)と呼んでいた。漢字の鞄は元来なめし革・革なめし職人を指す。(以下略)
出典:『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)

ここでは大きく二つの記述に注目します。

  • 1878年に東京府勧工場に谷澤氏が出品した飾箱の上の看板に「鞄」という漢字が使われたということ。
  • 「カバン」という言葉を同年に名古屋で開かれた博覧会の褒賞状に見ることができるということ。 いずれもきわめて具体的な説明です。一体、この具体的な記述がどこから来たのでしょうか。結論から言えば、ほぼ間違いなく一冊の本に突き当たります。

その一冊の本『東京鞄商工同業組合沿革史』の内容は、次の章で詳しく見てゆきます。


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  • 公開日 2021-02-01
  • 最終更新日 2026-09-26
  • 投稿者 太田垣