幕末・明治期教科書に見るカバンの記述

国立教育政策研究所教育図書館 近代教科書デジタルアーカイブ には、明治期以降の教科書がデジタル化され公開されています。

なかなか全部をチェックすることは時間的に難しいのですが、古いものをいくつか見てみました。

1860年(万延元年) 増訂華英通語

幕末の1860年(万延元年)出版の増訂華英通語 / 福澤範譯 を見てみると、帽子や靴類はいくつかのバリエーションが単語として記載されていますが、カバン類は見当たりません。

荷包 ガッサイブクロ Wallet ウワルレト (P.26)  
皮草 カワ Fur フハル (P.34)  
靴   クツ Shoe (P.47)  
筺   basket (P.49)  
弓籃 Marketbasket (P.49)  
籮   Basket (P.49)  
皮槓 カワバコ Leathern Trunk  
皮匠 カワザイクシ Currier カルリーアル (P.49)  
靴匠 クツツクリ Shoe maker (P.49)  
大袋 オホキナフクロ Sack サック, a large bag エ ラールジ バギ  
行李 タビジ_ク Baggage ベッゲジ  
(ページは、公開されているPDFのページ番号)  

皮槓の「槓」という漢字はテコのことなので、おそらくハコやひつぎの意味を持つ「木へんに賣」のトクという文字の書き間違いではないかと思われる。
靴の漢字は、「革編にフルトリ」となっているが、辞書を引いてもそのような文字は無いので、何かの異体字か誤字と思われる。
行李の読みがなとして「タビ_タク」と書かれており、3文字目が読めないが、「タビジタク」ではないかと思われる。
筺、弓籃、籮には、日本語のふりがなが振られていない。
つまり、1860年時点では、クツは日本語としてもあるものの、カバンは日本語として認識されていないようです。カバンっぽいものは、袋または行李となっています。

1867年(慶応3年) 和英語林集成

1867年(慶応3年)に、横浜で発刊されたヘボンの『和英語林集成』を調べてみましょう。こちらは国立教育政策研究所教育図書館ではなく、明治学院大学図書館 デジタルアーカイブス で確認することができます。まずは初版の和英の部から。

Ka-ban, カバン, 加番, n. A reinforcement to the number of a guard or watch.
―szru, to increase a guard.

出典:ヘボン『和英語林集成』初版 (P168)

1872年版は、国会図書館デジタルコレクションでも参照できます。  ヘボン『和英語林集成』 P192

残念ながら、いずれも見張り役を増員するという意味の「加番」しか掲載されておらず、持ち運ぶ道具としての「カバン」は載っていません。「胴乱」も掲載されていません。ちなみに、「行李」は掲載されています。

Kōri, カウリ, 行李, n A trunk, or box made of cane, used in travelling.

出典:ヘボン『和英語林集成』初版 (P227)

旅行に使用する、籐製のトランクや箱とあります。文字通り行李であり、私たちの想像するいわゆるバッグとは少し遠い感じです。その外、皮袋、皮籠、革靴等の見出し語は載っています。

今度は英和の部でバッグをひいてみます。

Bag, Fukuro; tawara; hiyō.
出典:ヘボン『和英語林集成』初版

(P7)

バッグは「袋」であり「たわら」と訳されています。英和の部では他に、靴(Shoe)や靴屋(Shoe-maker)等は載っています。もしこの時期に「カバン」という言葉が靴と同程度に一般的になっていたのであれば、「たわら」という表現より前に「カバン」と書かれていてもおかしくありません。

幕末慶応3年の時点では、「靴」は既に漢字を含め一般的になっているものの、「カバン」のほうは、漢字はおろか「カバン」という言葉さえ未だ一般的ではなかったということがうかがえます。

1871年(明治4年) 英吉利單語篇増譯

次に、英吉利單語篇増譯. v. 1(1871年 小川金助編)を確認しましたが、ここには見当たりませんでした。

1872年(明治5年) 英国單語図解

しかし、翌年1872(明治5年)年出版の英国單語図解(1872年 市川央坡著)にはランドセルの記載が確認できます。

Cartridge-poach カルチリーチ・ポウチ 銃包函 パトロンイレ
knapsack 子ップスヱック 負嚢 ランドセル

英国單語図解 P13
ページ番号はPDFのページ番号

カートリッジ・ポーチの方は、肩掛けの横型のポーチで現在の感覚とあまり変わりませんが、日本語の漢字には、袋でもカバンでもなく、銃包函と「函」の字が当てられています。
ちなみにパトロンとは、薬莢すなわちパトローネのことでしょう。ちなみに、この本の作者は、おそらく本物の英米国人の発音は聞いたことがなく、字面で判断しているように思います。

ナップサックの方は、絵を見る限り、現在のナップサックとは少し感覚が違います。箱の上に円筒形のものが乗っており、それを紐で背負うような構造になっていて見る限り背負子のようです。

そして、これに「ランドセル」という日本語が当てられています。幕末の資料でランドセルと記載されているのはなかなか貴重です。
本を買った人は、ランドセルという説明で意味がわかるという判断なのでしょうから、それなりに知られた単語だったのでしょう。

…となると、「ランドセルはわかるけど、カバンはしらない」というのが幕末時点の世間だったのでしょう。

1876(明治09年) 連語解

吉見重三郎著「連語解」は、国語の漢字や熟語を覚える教科書。ここには、長靴や履(くつ)は載っていますが、カバンは見当たりませんでした。

長靴 ナガグツ 獣類ノ皮ニテ製作シタルナリ晴雨ニテ少シ差異ノ製ヲナス
足駄 アシダ 桐ノ木或ハ栗杉等ニテ臺ヲ作リ下ニ齒二枚付テ用ユ晴雨ニテ高低ノ差アリ
草履 ザウリ 藁又竹籜ニテ編ミ造リタルハキモノニテ晴天ニ用ユルナリ
履 クツ 獣類ノ皮ニテ製作スルモノナリ

P11 (ページ番号はPDFのページ番号 )

籜は、タクと読み、竹の皮や筍(たけのこ)の皮のこと。この本では竹籜に「タケノカハ」という読みを当てている。

1877(明治10年) 連語解(全)

高橋光正註釋「連語解(全)」も、国語の漢字や熟語を覚える教科書。 記述は概ね吉見重三郎の連語解と同じで、ここにも、長靴や履(くつ)は載っていますが、カバンは見当たりませんでした。

長靴 ナガグツ ケモノゝカハニテツクル、オホク、アメノフルトキニハク、
足駄 アシダ キニテツクル、オモニ、アメノフルトキニハク
草履 ザウリ ワラカ、タタミノオモテニテ、ツクル、テンキノヨキヒニ、モチユ、
履 クツ ケモノゝカハニテツクリ、テンキノヨキヒニモチユ、

P8 (ページ番号はPDFのページ番号 )

長靴も履(くつ)も、革で作ると書いてあり、長靴は雨の日、履は天気の良い日に履くとなっている。

連語解 P8


1883年(明治16年) 小學連語圖讀本

更に時を下り、小学校の国語関係を確認します。当時の低学年の国語の教科書には身の回りの事物の単語を示す教科書があります。
、「 小學連語圖讀本(1883年10月 文部省発行)には、靴は掲載されていましたが、カバンは見当たりませんでした。

1887年(明治20年) 教科入門

1887年2月 國華堂発行の「 教科入門」 という小学生向けの修身の教科書にも、クツは出てきますが、カバンは見当たりません。

ただし「ニモツ」のイラストには、紐を掛けた荷物のイラストに並んで、手提げかばん風のイラストが付いています。また、ちなみにがま口財布は「ゼニイレ」と記されています。

1887年(明治20年) 新撰作法書. 3

岡村増太郎編纂の修身の教科書「新撰作法書」の第三巻に登下校の際の作法について少し書かれていましたが、カバンやランドセルといった言葉は使われていませんでした。

家に歸れば、父母長上に一禮して、下校の由を告ぐべし、草紙は自乾すべし、包物を拠置きるるままにて外へ出づべからず。

P10  (ページ番号はPDFのページ番号 )

「包物」とあるので、なにか袋状のものに入れていたというよりは、どちらかというと風呂敷包のようなイメージでしょうか。

1893年(明治26年) 小學校生徒用作法書

田沼太右衛門編輯の修身の教科書「小學校生徒用作法書」にもカバンやランドセルといった言葉は使われていませんでした。

旅行の際の礼節や乗船乗車の心得について書かれた部分にも、カバンなどの言葉は使われていませんでした。