本ページは連載『カバンの語源と「鞄」という漢字の由来』の第6章です。博覧会記録に続き、今度は江戸〜明治のタウン誌・店舗便覧・紳士録の類から、「カバン」を売る店がいつ現れ、「鞄」の文字がいつ店頭に登場したのかを探ります。

昔の店舗リストから探す鞄店

1824年(文政 7年)『江戸買物獨案内(えどかいものひとりあんない)』

当時の店舗の状態を知るための情報として、当時のタウン誌、情報誌をチェックするという方法があります。それらは店舗便覧や紳士録といった形で出版されています。代表的なものを見てみます。
まず、少し古いところで江戸時代の資料を見てみます。『江戸買物獨案内』は中川芳山堂という版元が1824年(文政7年)に出版したもので、上下巻500ページに加え、飲食の部が30ページという大部のガイドブックです。ここには小間物屋が扱うものとして、胴乱が登場します。もちろんまだ「カバン」は出てきません。

ときどき見かけるのは「胴乱」です。もともとは弾丸を入れるためのショルダーバッグあるいはポシェットのようなもので、江戸の末期になるとファッションアイテムの一つとして定着しています。

大和屋藤兵衛 馬喰町一丁目    小間物卸 胴乱鼻紙袋金物問屋     (P92)
和泉屋吉藏  通鹽町       金物類卸 どうらん 鼻紙袋      (P92)
松坂屋又兵衛 京橋南傳馬町三丁目 御煙草入處 御鼻紙入 革提類 羅紗更紗唐草類京都織物根附緒メ類     (P329)
菱屋治兵衛  室町三丁目     御袋物煙艸入處 御鼻紙袋 革提るい(P331)
廣瀬屋嘉七 鼻紙入 煙艸入 袋物卸 胴らん金物品々 根附緒止

丸角屋次郎兵衛 本町二丁目    小間物 袋物類 問屋 
越川忠右衛門  浅草田原町三丁目 御袋物所 京都織物類品々 羅紗更紗類品々

江戸買物独案内 問屋之部 112コマ

胴乱以上に多いのが、袋物という表現ですが、これはカバンというよりも女性が持つ信玄袋のようなものなので、すこし違うように思います。

それ以外に気がかりなのが「提物」「革提」という表現です。特に「革提」は明治に入り、「カバン」とふりがなが振られます。江戸時代と同じものを指していたのかどうかはわかりません。

越川屋忠兵衛   下谷仲町 御袋物師 江戸一家
相生屋新兵衛  下谷池之端仲町 御袋物所
長谷川市兵衛  本町四町目大横丁 御烟草入 御鼻紙袋 御帯地類品々 唐革 唐更紗 唐羅紗類 五良服連 京都織物類
宮川長次郎   江戸小網町一丁目てりふり町 和漢 きれ地皮_承 新きれ御仕立帯承
# 江戸買物独案内 2巻付1巻 下巻 問屋之部 113コマ

江戸小網町一丁目てりふり町というのは、実際に存在した「照降町」のこと。晴れの日に使う下駄や雨の日に使う傘などのお店が多かったことからこの名がついたといわれています。

御紙入 御多ばこ入 品々
菱屋彦八    山下御門通 南鍋町 御鼻紙袋 御煙艸入 所 萬袋物諸色 羅紗類織物切地
伊勢屋與八  山下御門通 南鍋町一丁目 御鼻紙袋 御煙艸入 印伝其他御誂物提物 家久嶌本家
伊勢屋長七  横山町一丁目 御袋物問屋 鼻紙袋 烟草入れ

# 江戸買物独案内 2巻付1巻 下巻 問屋之部 114コマ

丸屋利助   日本橋通二丁目 袋物類 羅紗更紗品々 唐和革堤類 紙煙草入類 御金物類品々

# 江戸買物独案内 2巻付1巻 下巻 問屋之部 115コマ

播磨屋善九郎 たばこ入 革提類  廣屋茂兵衛 横山町壹丁目 唐革類革提類金物類 袋物類卸小売
亀屋清七 通油町南新道 根付 緒止 鼻紙袋 革提 所

1879年(明治12年) 明治十二年『東京名工鑑』

1879年(明治12年)に東京府勧業課が発行した『東京名工鑑』を見てみます。ここには、馬具工や袋物工は見えますが、鞄関係と思われるのは嚢袋工だけで他には見当たりません。

嚢袋工                二百五十丁
 森川吉兵衛 堀川平助 川野榮次郎 
関口善廣 藤井龜吉 南保是藏
小川爲安 小松嘉兵衛

出典:『東京名工鑑』(15コマ)
(カッコ内は近代デジタルライブラリーのコマ番号)

『東京名工鑑』は、冒頭に業種毎の職人一覧があり、本編で各業種の代表的な職人についての詳しい来歴や技術の特徴等を細かく記す構成になっています。
袋物工についても数名が記載されているのですが、来歴や作品の特徴を読む限り、煙草入れなど、いわゆる袋物、小物を制作する職人であり、「カバン」の職人という感じではありません。
唯一、小網町一丁目の袋物メーカー宮川長次郎のもとにいる職人三名に「カバン」関係の記述が見えます。
また、川野榮次郎という煙草入れの内貼職人の項に胴乱の文字が確認でき、また、袋物の部品を制作する吉川萬藏と桜皮細工職人の本田幸太郎の記述の中に「カバン」という言葉をみることができる程度です。長いですが少し見てみましょう。

                    日本橋區村松町十四番地
袋物工            川野榮次郎
                    三十四歳
所 長 和洋風仕立て巻烟草入内貼
製造種類 紙入 煙草入 巾着 手胴亂 袋縫
嘱 品 家 小網町一丁目宮川長次郎
助工人員 五名
博覧會出品
内国博覧会ヘ宮川長次郎ノ出品セシ洋服持
煙草入和洋兼仕立烟草入並ニ巻烟草入ノ内
貼リ等ヲ製造シテ鳳紋賞牌ヲ受ケ澳國博覧
會ヘ同人ノ出品セシ竹ノ皮貼リ巻煙草入紙
入ヲ製造シテ二等賞牌ヲ受ケ米國博覧會ヘ
同人ノ出品紙入ヲ製シ佛國博覧會ヘ同人ノ
出品セシ手札仕立並ニ烟草入ノ内貼リヲナ
セリ
開業及沿革
父次郎助ヨリ傳習シ二十七歳ノ時家ヲ継繼キ
九年前頃ヨリ宮川ノ注文ニテ貿易品ヲ製造
セリ故ニ四五年前ヨリ漸々盛大ニ至リ其景
況ヨロシ

出典:『東京名工鑑』(366コマ)

住所 : 日本橋区村松町14番地
職業 : 袋物職人 川野榮次郎(34歳)
得意とする仕事 : 和洋折衷仕立ての巻きたばこ入れの内貼り
製造品目 : 紙入れ(財布)、たばこ入れ、巾着、手胴乱(どうらん=腰に下げる革製の物入れ)、袋縫い
注文主 : 小網町一丁目 宮川長次郎
職人の人数: 5名
博覧会への出品 : 内国勧業博覧会へは、宮川長次郎が出品した洋服用携帯たばこ入れ、和洋兼用仕立てのたばこ入れ、および巻きたばこ入れの内貼りなどを製造して、鳳紋賞牌を受賞した。
オーストリアの博覧会へは、宮川氏が出品した竹の皮貼りの巻きたばこ入れ・紙入れを製造して二等賞牌を受賞した。アメリカの博覧会へは、宮川氏の出品した紙入れを製造した。フランスの博覧会へは、同人が出品した名刺入れ仕立ての品、およびたばこ入れの内貼りを手がけた。

開業と沿革 : 父・次郎助から技術を習い覚え、27歳のときに家業を継いだ。9年ほど前から宮川の注文で輸出向けの品を製造している。そのため4、5年前からしだいに商売が大きくなり、その経営状態は良好である。

※オーストリアの博覧会は、ウィーン万博、アメリカの博覧会はフィラデルフィア万博、フランスの博覧会パリ万博を指していると思われます。

             芝區車町三番地
木及牙角小細工            吉川萬藏
                         五十四歳
所   長 象牙網代組
製造種類 烟管筒、巻烟草入、カバン枠、杖及ヒ蝙蝠傘握、烟草入金物ノ類
嘱 品 家 小網町一丁目袋物宮川長次郎
(以下略)
出典:『東京名工鑑』(451-452コマ)

櫻皮細工 元柄巻工 神田區三崎町二丁目一一番地 本田幸太郎 四十二歳
所   長 櫻皮挽き
製造種類 櫻皮製 鯨製 烟管筒、巻烟草入  帽子 カバン
嘱品家 小網町一丁目袋物宮川長次郎浅草芽町伊勢屋松兵衛
(以下略)

出典:『東京名工鑑』(455コマ)

いずれもカッコ内は近代デジタルライブラリーのコマ番号。

川野榮次郎氏の説明を読むと、洋服にも合う煙草入れを制作しウィーンやパリなどの海外の各種博覧会で好評を得、以後海外輸出用の煙草入れを製造して景気も良いと書いています。先のウィーン万博の出品物で「胴乱 宮川製」とあったのは、おそらく川野氏の手になるものでしょう。

また、川野氏は内貼り、吉川氏は金枠、本田氏は桜皮巻等、当時の袋物の一般的な製造工程と同じく分業制で製造されていたこともうかがい知ることができます。
不思議なのは、川野氏の欄では「胴乱」と書かれ、吉川氏、本田氏の項には「カバン」とあることです。たとえば下職では「カバン」と呼んでいて、職長とか販売側では「胴乱」と呼んでいたというようなことがあるのでしょうか。それとも川野氏の記述はウィーン万博出品時の記録を踏まえたものなのでしょうか。

この本の中には、馬具工もいくつか挙げられていますが、せいぜい牛込箪笥町四番地の村上清兵衛(三十三歳)について、内国博覧会で牛革製の文庫が家紋賞を受けたと記している程度で「カバン」につながる記述はみあたりません。
ちなみに、靴関係は日本で鞄産業を立ち上げた西村勝三氏の元で働いていた職人が既に多く掲載されており、このあたりにも靴と鞄の浸透度合いの差を見ることができます。

1885年(明治18年)『東京商工博覧絵』

次に『東京商工博覧絵』をチェックしてみます。この本は『東京名工鑑』から六年後の明治十八年(一八八五)に出版されたショップガイドです。この冊子には、お店の案内が掲げられ、店舗の様子がイラストで描かれています。煙草入れを販売しているお店は掲載されていますが、残念ながら「カバン」は見つかりませんでした。川上藤兵衛氏の名前も見当たりません。ただ、気になるお店はあります。

日本橋区室町三丁目四番地 算盤柳竹合利 諸國産文庫類 
大坂屋幸島市右ヱ門                     (77コマ)

算盤所・柳合利・竹合利・文庫類 東京大伝馬町三丁目 問屋 
菊屋浅野三次郎                       (79コマ)

いずれも出典は『東京商工博覧絵 下』 カッコ内はデジタルアーカイブのコマ番号。

この2つの店舗、「カバン」の文字はありませんが、取扱商品が「カバン」に近いことや革と箱モノの接点として興味を引きます。しかも大坂屋幸島市右ヱ門の店舗イラストには、店頭の看板に「姫路革文庫」「算盤所」と書かれています。ここから当時、東京・日本橋では、「姫路革文庫」はブランドとして名前が通っていたこと、そして文庫がそろばんや柳行李等と一緒に売られていたことがわかります。

ちなみに、大坂屋幸島市右ヱ門というお店は、江戸時代には「下りからかさ問屋」だったことが、『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』(中川芳山堂)に載っています。かつての傘問屋がこの時期そろばんや柳行李を売っていたのですね。

そろばん、行李、文庫に共通する事とはなんでしょうか。文房具関係ということもできますが、かつて傘問屋だったことも含めて考えると、竹細工や木工芸に関係する商品という関係も考えられます。あるいは、そろばんは播州・小野、行李は丹波・豊岡、文庫は姫路が産地であることから、船便等の輸送や仕入れルートの関係で現在の兵庫県近辺とのつながりの深い商売ということなどが思い浮かびます。

1888年(明治21年)『東京商工組合姓名録』

今度は『東京商工組合姓名録』という資料を確認してみます。

今までの資料と違い、ここには当時の様々な同業組合とその構成企業が記されています。出版は1888年(明治21年7月ですから、川上藤兵衛も商売をしており、谷澤氏も川上商店から独立した直後という状態です。

この中に東京西洋小間物商組合(P8)という組合が載っているのですが、見知った名前は折山藤助氏ぐらいで、川上氏も谷澤氏も見当たりません。

折山氏は先に見たように宮城県博覧会では帽子の出品がメインでした。東京西洋小間物商組合は、どうも帽子等がメインの組合のようで、折山氏も帽子の業者として参加していたのではないかと考えられます。

たしかに、明治の紳士の服装というと、和服に帽子をかぶっているイメージがあります。洋服が流行する前に西洋の小間物として帽子が普及したのでしょう。このあたり、鞄の普及との違いを感じます。

1889年(明治22年)『北越商工便覧』

その翌年、1889年(明治22年)の8月には、新潟の高田・刈羽地域の店舗や会社を集めた『北越商工便覧』(高田・刈羽版)が出版されています。ここでようやく「かばんるい」の文字を見つけることができます。

西洋小間物卸小賣商 高田横町 神林佐右ェ門
出典:『北越商工便覧』(26コマ)
(カッコ内は近代デジタルライブラリーのコマ番号)

この店舗のイラストには、のれんと看板が描かれています。看板には「革盤類、蝙蝠仐、靴類、小間物、帽子類、卸小賣 神林店」と書かれており、のれんにはそれを平仮名にして「かばんるい、かふもり仐、くつるい、こまもの、ぼうしるい、おろし、こうり、神林店」と書かれています。明治二十二年(一八八九)においても、地方では「革盤」と書いて「かばん」と読んでいたことがわかります。

ここまでをまとめると、1879年(明治12年)頃までには「カバン」という言葉が職人間で使われていたようですが、店頭や広告宣伝するような代表的な商品としての地位には、1888年(明治21年)頃までは至っておらず、また独自の組合を結成するまでの市場規模にも至っていませんでした。1889年(明治22年)頃には、地方都市でも「カバン」の言葉が使われるようになっていたことがわかります。

「鞄」の文字が急に溢れ出す1890年(明治23年)『東京買物独案内』

『北越商工便覧』から一年経った、1890年(明治23年)に大きな変化が訪れます。

この年になると東京では「鞄」の文字が当たり前のように溢れ出すのです。

同年6月末に出版された『商人名家 東京買物独案内』という冊子があります。これは明治18年の『東京商工博覧絵』と同じような内容ですが、その夏に開催される第三回内国勧業博覧会のオープンにあわせ、地方から上京する人々を当て込んで企画出版されたものなのでしょう、大変分厚い冊子になっています。ここには今までの資料と違い、谷澤氏をはじめ、鞄の製造販売をメインとする商店が現れ、かつ十店舗を超える商店が「鞄」の文字を使っています。早速見てみましょう。

京橋区銀座二丁目    林商店    馬具馬車具・鞄靴革具
(P17)
ここは馬具類から革つながりで鞄や靴を販売していたお店でしょうか。

商人名家 東京買物独案内

京橋区銀座壱丁目    谷澤鞄専業廛 旅行用鞄・手提類各種
正直賣ノ勉強廛、品質の精良堅牢なると價格の低廉なるを以て高評を博せし弊店製手提鞄の儀は尚一層勉強の安賣士候間御用向を乞
(P77)

銀座一丁目となっていますので、現在の銀座タニザワにつながるお店です。明治23年に移転したということだったので、移転してすぐの広告ということなのでしょう。ただし、「鞄」という文字が自分たちが考案したものだという主張は無く、勧工場から移転したという情報もありません。

京橋区南伝馬町二丁目  紀伊国屋善之助 鞄手提・ゴム靴  卸・小賣 (P77)

このお店はその後の動きがわかりません。

日本橋区通三丁目    川上藤兵衛 和洋鞄類
(P77)

ここが谷澤が丁稚奉公したお店。 通三丁目は、現在の日本橋三丁目付近となります。

京橋区銀坐二丁目    薄井商廛 
手提鞄類・旅行鞄類・図嚢類・肩掛類・馬車挽道具類・馬具類・各種革具製造販賣
(P77)

このお店はその後の動きがわかりません。

京橋区南伝馬町壱丁目一五番地 鞆繪屋洋傘廛
同町同番地       鞆繪屋洋品廛
同町一六番地      鞆繪屋鞄廛
同町同番地       鞆繪屋靴本廛
(P82)

「鞆繪屋洋傘廛」は「ともえや・ようがさてん」と読むと思われる。傘、小物、鞄、靴の4店舗を隣続きで商っていたのでしょうか。

京橋区銀坐三丁目    野田屋更作 洋品小間物商
洋服付属品一式其外化粧品種々、旅行用鞄其外各種
(P82)

日本橋区横山町壱丁目  大和屋 小林利兵衛 
革莨入・筒金物・巻葉入・手提鞄・靴類 商廛
(P93)

革莨はタバコのこと。つまり煙草、キセル、葉巻の入れ物類を扱っているお店だったようです。

東京横山町二丁目    播伊商廛 
革煙草入袋物、手提鞄問屋
製造物品ハ改良進歩ヲ旨トシ、値段は頗ル廉価ニ販売シ、他廛ニ一歩譲ラザルヲ證ス、専ラ諸君ノ注文ニ応ズルヲ務ム
(P93)

日本橋区通油町     大和屋 小林藤兵衛
革莨入・袋物・手提鞄・巻葉入・諸革類問屋
(P94)

このお店は「大和屋 小林利兵衛」となにか血縁関係にあったのでしょうか。

日本橋区大伝馬町二丁目 菊屋 浅野三次郎
算盤問屋、学校用躰操器具類、手提肩掛旅行用鞄、柳合李竹合李一式、姫路革諸文庫各種
(P100)

このお店は、そろばんや体操器具など学校用品を販売することが主のようです。 そろばんは兵庫県・小野市の特産品、柳行李は兵庫県・豊岡市の特産品、姫路革文庫はもちろん兵庫県・姫路市の特産品であることから、兵庫県に仕入れルートがあったのでしょうか。

日本橋区室町三丁目   大坂屋 幸嶋市右衛門
算盤類一式、柳合李類、信濃陸中竹合李、姫路革文庫類、地方及西京製文庫類
(P101)

このお店も同様に、兵庫県ルートの品ぞろえに長けており、加えて陸中の竹行李を扱っていたようです。

神田区鍛冶町      伊勢屋 富澤文藏
舶来ゴム靴、革靴、カバン馬具類、問屋
 (P140)

京橋区銀座二丁目    林商店
鞄靴革具、馬具馬車具
(P141)

まさに鞄、鞄、鞄です。このとき既に専業の鞄店が出現しています。また、革というくくりで靴と一緒に販売していたり、紳士の装身具として、煙草入れなどの小物を扱うお店でも売っていたり、文房具や勉学の必需品として算盤や行李類、文庫類を販売しているお店でも扱うようになっています。果ては、傘、鞄、靴、その他洋品を複数店舗で商品を分けて売るという、今でもありそうな商売の形をしているお店まで出現しています。

1890年(明治23年)の東京なんでも百科『東京百事便』

1890年(明治23年)7月8日に「東京百事便」という本が出版されます。先の「商人名家 東京買物独案内」とほぼ同時期の出版となります。

この本は、東京のことならなんでも載っている便利帳という感じの本です。

紀の國屋  京橋區南傳馬町二丁目十六番地
谷澤商店  仝區銀坐一丁目四番地
林商店   仝區銀坐ニ丁目六番地
薄井福三郎 仝區銀坐ニ丁目六番地
櫻組出張店 京橋區銀坐三丁目十六番地
川上屋   日本橋區通四丁目
池永榮藏  京橋區尾張町一丁目二番地
濱田商店  京橋區出雲町五番地
越後屋   京橋區南金六町七番地
松田屋   芝區源助町二十番地
桐屋    神田區雉子町三十三番地
村上勇雄  神田區連雀町十八番地

321コマ


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  • 公開日 2021-02-01
  • 最終更新日 2026-09-26
  • 投稿者 太田垣