1878年(明治11年)06月07日加藤清海掠奪金の件鎮守府届

東五一套第百八十四号 加藤清海掠奪候金員義ニ付御届
加藤清海掠奪候金員之義ニ付客年十二月中鹿児島湾碇泊竜驤号艦長ヨリ竜甲第百十三号書面之通口命書類ヲ副ヘ伺書候ニ付猶又客月二十四日泊竜甲第二十二号ヲ以テ口命書類ヲ添ヘ加藤清海故海軍九等属遠武直方ヲ殺害スルノ際従者之胴乱 ヨリ掠奪候云々ヲ以テ鹿児島裁判所ヨリ受領致置ニ候金員百七十四員之義ハ乃右口命書類之通ニ有之当時遠武直方ヲ殺害致候者ハ全ク加藤清海ニ無之事実明瞭致シ因テ該金員之義ハ鹿児島裁判所ヘ返戻致度云ニ伺書候ニ付電信ヲ以指令ニ及ヒ置キ候条電信案其他書類共相副此段御届仕リ置キ候也
十一年六月七日 東海鎮守府司令長官 海軍少将伊東祐麿
海軍卿川村純義殿

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  • 公開日 2023-02-25
  • 最終更新日 2023-02-25
  • 投稿者 太田垣