1877年(明治10年)01月29日裁判所より水兵高橋種治犯罪擬律伺

別紙秘入第百六十二号水兵高橋種次擬律之通御裁決相成可然歟御指令案ヲ以相達伺候也
御指令案
上申之通 明治十年二月二十四日
所一套第二十三号
水兵高橋種治犯罪擬律処断伺
富士山艦乗組二号水兵高橋種治犯罪処分之義履出第十六号御達ニ付別紙刑一套第五十五号之通擬定仕候条速ニ御裁決相成度此段上申仕候也
十年二月二十日 裁判所長代理 裁判評事楠目正幹
海軍大輔河村純義殿代理
海軍少将中牟田倉之助殿

秘入第百六十二号 刑一套第五十五号
起案月日 十年二月十六日
別紙二等水兵高橋種治口供ニ就キ擬律案
該犯官給ノ胴乱ヲ敢間違ヒ携持スル事件ニ付整列ノ節遺責ヲ受ルヲ以テ免許上陸ノ際故ラニ帰艦ノ期ヲ失シ数日ヲ過クル者ナリ因テ軍律第百四十三条同第百二十六条ニ■擬し杖三十錮二十八日處断相当ト擬ス

下記が判決文

明治十年二月十九日 罰文 富士山艦乗組 二等水兵 高橋種治 其方儀本艦横須賀碇泊中官給ノ胴乱ヲ取間違ヒ携持スル事件ニ同整列ノ■譴責ヲ受ルヲ以テ免許上陸ノ際故ラニ期限ヲ失し数日帰艦不教科ニ依リ杖三十禁錮二十八日申付候事

このあと、調書のようなものが付され、その中にも胴乱という記載が見える。 高橋種治氏は、宮之城郷屋地村(現在のさつま市)の出身で士族だったようだ。

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  • 公開日 2023-02-25
  • 最終更新日 2023-02-25
  • 投稿者 太田垣