『人事興信録』1915年(大正04年)版データベース
名古屋大学が整備している日本研究のための歴史情報というサイトで鞄関係をしらべてみます。
『人事興信録』は、明治35(1902)年に内尾直二が人事興信所を創業した翌年に創刊した人物情報誌です。現在は、1915年(大正4年)発行の第四版と1928年(昭和3年版)発行の第八版がデータベース化され公開されています。その他の版の多くは国会図書館でデジタル化されていますが、人名をもとにいろは順に探すので結構面倒です。
採録者名 | 版 | 生年月日 |
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林大策 | 第4版 | 明治3年11月19日 (1871) |
大塚岩次郞 | 第4版 | 安政6年2月4日 (1859) |
大塚菊雄 | 第8版 | 明治24年11月 (1891) |
村上文七 | 第4版 | 明治26年12月14日 (1893) |
村田與吉 | 第4版 | 慶應2年4月17日 (1866) |
松崎伊三郞 | 第4版 | 慶應元年5月24日 (1865) |
松崎伊三郞 | 第8版 | 慶應元年5月 (1865) |
關戸重太郞 | 第4版 | 安政4年10月13日 (1857) |
赤松熊七 | 第8版 | 萬延元年4月 (1860) |
飯塚彌太郞 | 第8版 | 明治元年9月 (1868) |
岩田武七 | 第8版 | 明治17年6月 (1884) |
加藤忠兵衞 | 第8版 | 嘉永6年9月 (1853) |
高能貞次郞 | 第8版 | 明治29年7月 (1896) |
重田周造 | 第8版 | 明治5年2月 (1872) |
高橋彌四郞 | 第8版 | 明治5年1月 (1873) |
林五作 | 第8版 | 明治8年3月 (1875) |
山下芳松 | 第8版 | 明治15年4月 (1882) |
由良小一郞 | 第8版 | 明治15年3月 (1882) |
橫山久太郞 | 第8版 | 明治4年2月 (1871) |
第4版は、大正4(1915)年1月発行
第8版は、昭和3(1928)年7月発行
上記の他に、森田直七とゆかりがある、雑貨商早野彌曾市も掲載しておきます。
林大策
林五の創業者。大阪府に1600円を納める多額納税者との記載がある。
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 大阪府平民 |
職業 | 靴鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治三年十一月十九日 (1871) |
親名・続柄 | |
家族 | 妻 ヤエ 明一五、一〇生、大阪、平、小野村道三郞長女 男 作太郞 明三一、一生 |
記述部分 | 君は兵庫縣士族林兵作の弟にして明治三年十一月十九日を以て生れ明治二十七年五月分家して一家を創立す 靴鞄商を營み現時直接國税一千六百餘圓を納む 長女貞子(明三七、八生)は兵庫縣平民西田茂八郞の養子となれり |
住所 | 大阪東、北久太郞町四ノ一一七 |
電話番号 | 長東二〇九〇 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | はやし だいさく |
別名 |
大塚岩次郞
オーツカ製靴の初代。
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 東京府平民 |
職業 | 大塚商店、靴鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 安政六年二月四日 (1859) |
親名・続柄 | 大塚隊之亟の二男 |
家族 | 妻 むめ 明一一、二生、東京、士、亡濱島和通二女 |
記述部分 | 君は舊佐倉藩士大塚隊之亟の二男なり 安政六年二月四日を以て生る父隊之亟 明治初年自ら覺る處ありて家祿を奉還して居を東京に移し製靴の業を開始す 君少壯父に從ひ斯業に從事す然れ共當時製靴の業たるや技頗る幼稚にして輸入品に摸する事遠く 君は之か改良に刻苦攻究の結果漸く世の賞讃を博し益々業務の擴張を計り 方今宮内陸海軍の各省用達を勤めつゝあり 大塚商店と稱し同業者の信用頗る厚し現時直接國税四千五百餘圓を納む |
住所 | 東京、芝、露月町二四 |
電話番号 | 長芝一一一三 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | おおつか いわじろう |
別名 |
大塚菊雄
オーツカ製靴の二代目。初代は下記にも記されている伯父・大塚岩次郎。
人事興信録第4版では父・大塚岩次郞が掲載されているが、第8版では、その養子大塚菊雄が掲載されている。
http://www.otsuka-shoe.com/history/history.html
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | 從七位 |
爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 |
職業 | 陸軍步兵中尉、大塚商店主、靴鞄革具製造販賣 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治二十四年十一月 (1891) |
親名・続柄 | 大塚金之助の三男 |
家族 | 養母 むめ 明一一、二生、東京、士、濱島和通二女 妻 照世 明二七、六生、千葉、櫻井茂三郞二女 男 茂 大八、一〇生 |
記述部分 | 君は舊佐倉藩士大塚金之助の三男にして明治二十四年十一月を以て生れ伯父大塚岩次郞の養子となり大正十四年家督を相續す 陸軍幼年學校士官學校に學び陸軍步兵中尉に累進し步兵第五十七隊第一師團司令部に勤務す 大正八年軍職を退き家業に從事し爾來專ら大塚商店の經營發展に任じ宮内省及陸海軍御用達として知らる 同十五年製靴事業視察の爲め歐米を漫遊す 家族は尚長女和歌(大五、一〇生)二男斌(同一二、七生)三男勳(同一五、四生)あり |
住所 | 東京、芝、露月町二四 |
電話番号 | 芝一八二、二〇二五 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | おおつか きくお |
別名 |
村上文七
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 東京府平民 |
職業 | 合資會社村上商店代表社員 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治二十六年十二月十四日 (1893) |
親名・続柄 | 村上文七の二男 |
家族 | 母 しゆう 明元、一〇生、東京、平、堀田善兵衛二女 養兄 由太郞 明七、七生、姉靜夫、愛知、平、大橋由兵衛長男 姉 靜 明二四、六生、養兄由太郞妻 弟 英一 明二八、七生 妹 ことえ 明三〇、九生 |
記述部分 | 君は東京府平民先代亡村上文七の二男にして明治二十六年十二月十四日を以て生 初め清七と稱す 同四十五年一月家督を相續し同三月今の名に改む 革商靴馬具鞄調革原料並附屬品を販賣し合資會社村上商店と稱し其代表社員たり 家族は前記の外弟藤七(明三四、五生)同繁雄(同三七、五生)同貞之助(同四二、二生)妹壽惠子(同四〇、二生)同つる子(同四三、六生)姪八重子(同四三、七生、養兄由太郞長女)あり |
住所 | 東京、日本橋、橫山町一ノ九 |
電話番号 | 本局二二二〇 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | むらかみ ぶんしち |
別名 |
村田與吉
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 東京府平民 |
職業 | 株式會社光陽社取締役、株式會社四谷銀行取締役兼新宿支店長、イセゲン商店第一販賣部、鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 慶應二年四月十七日 (1866) |
親名・続柄 | 村田彌兵衛の長男 |
家族 | 母 きわ 弘化二、四生、東京府人内藤太吉妹 妻 うた 明四、一〇生、東京、平、木村源兵衛長女 男 武吉 明二三、六生 女 勅子 明三三、一〇生 |
記述部分 | 君は東京府平民亡村田彌兵衛の長男にして慶應二年四月十七日を以て生れ明治十六年六月家督を相續す 鞄商を營む尚前記諸會社の重役たり 家族は尚ほ三男義雄(明三〇、一〇生)四男辰彌(同四一、六生)あり |
住所 | 東京、四谷、傳馬町三ノ一一 |
電話番号 | 番町八六四 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | むらた よきち |
別名 |
松崎伊三郞
松崎伊三郞 第4版での記載
マルエム松崎の創業者松崎伊三郞の人名録です。
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 東京府平民 |
職業 | 合資會社マルヱム工塲無限責任社員、鞄製造業 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 慶應元年五月二十四日 (1865) |
親名・続柄 | 松崎正七の長男 |
家族 | 妻 くん 明元、一生、東京、士、朝山茂三郞姉 養子 徹 明二八、七生、長崎、平、清水せい男 妹 登和 明二、一一生 |
記述部分 | 君は東京府平民松崎正七の長男にして慶應元年五月二十四日を以て埼玉縣忍町に生る 明治八年家督を相續して父祖の業を襲く 明治三十三年東京に出て鞄製造及曩物業を創め以て現時に至直接 國税五百餘圓を納め傍ら前記會社の重役たり 妹ます(明七、一生)は東京府平民市川孫市に嫁せり |
住所 | 東京、淺草、旅籠町一ノ一六 |
電話番号 | 長下谷一一六 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | まつざき いさぶろう |
別名 |
第8版での記載
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 |
職業 | 南洋貿易信用(株)取締役、松崎製鞄所、鞄製造業 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 慶應元年五月 (1865) |
親名・続柄 | 松崎正七の長男 |
家族 | 妻 くん 明元、一生、東京、士、朝山茂三郞姉 養子 喜久治 明四四、九生、東京、安藤匡七二男 |
記述部分 | 君は京都府人松崎正七の長男にして慶應元年五月を以て生れ明治八年家督を相續す 鞄製造業を營み傍ら南洋貿易信用會社取締役たり 妹ます(明七、一生)は東京府人市川美屋養子孫市に嫁せり |
住所 | 東京、淺草、旅籠町一ノ一六 |
電話番号 | 淺草一三二 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | まつざき いさぶろう |
別名 |
關戸重太郞
明治製革、櫻組など皮革関連の会社経営に関わり、その傍らで鞄関係の關戸商店を経営している。
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 靜岡縣平民 |
職業 | 明治製革株式會社、土地興業株式會社各取締役、合資會社櫻組業務執行社員、關戸商店、靴鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 安政四年十月十三日 (1857) |
親名・続柄 | 關戸惣平の長男 |
家族 | 妻 けん 文久三、七生、靜岡、平、鈴木幸作妹 男 一平 明二七、四生 養子 喜代藏 明一四、七生、養子ふさ夫、靜岡縣人松本長八三男 養女 ふさ 明一六、一二生、養子喜代藏妻、靜岡縣人渡邊角平妹 |
記述部分 | 君は靜岡縣平民關戸惣平の長男にして安政四年十月十三日を以て生れ明治元年十一月家督を相續す 靴鞄商にして關戸商店と稱し直税國税九百圓を納む又前揭諸會社の重役たり 家族は前記の外二男惣平(明三五、八生)三女せき(同三八、八生)あり 養子さく(同四、正生、靜岡縣人匂坂長吉妹)は靜岡縣人松山長十に嫁せり |
住所 | 橫濱、辦天通二ノ四一 |
電話番号 | 長一六八三 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | せきど しげたろう |
別名 |
赤松熊七
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 大阪府在籍 |
職業 | 靴鞄帆布製造業 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 萬延元年四月 (1860) |
親名・続柄 | 赤松熊吉の長男 |
家族 | 男 喜太郞 明二一、八生 婦 あや 明二二、六生、長男喜太郞妻、大阪、宮林操三養子 女 繁 明三四、一〇生 孫 勝 大二、三生、長男喜太郞長女 |
記述部分 | 君は大阪府人先代熊吉の長男にして萬延元年四月を以て生れ明治二十五年分れて一家を創立し前名喜太郞を改む 靴鞄帆布製造業を營む 家族は尚孫靜子(大三、一一生、長男喜太郞二女)同國治(同五、七生、同長男)同喜美子(同八、二生、同三女)同富造(同一〇、一生、同二男)同神惠(同一三、一〇生、同四女)あり 三女千代(明二五、九生)は大阪府人奧村友次郞長男清三郞に四女信(同二八、一生)は同府人石田定右衞門長男貞次郞に嫁し五女末(同三一、一二生)二男英雄(同三六、八生)は各分家せり |
住所 | 大阪、東、南本町四ノ一六九 |
電話番号 | 船場二一〇八 |
参照人物 | 石田定右衞門、宮林操三 |
参照次数 | 2 (※なし2) |
読み | あかまつ くましち |
別名 | 赤松喜太郞 |
飯塚彌太郞
株式会社青木の創始者。
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 |
職業 | 青木商店、靴鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治元年九月 (1868) |
親名・続柄 | 青木彌三郞の長男 |
家族 | 妻 はな 明一五、四生、東京、伊井藤太郞姉 男 正治郞 大元、八生 |
記述部分 | 君は東京府人青木彌三郞の長男にして明治元年九月を以て生れ後飯塚忠藏の養子となり同三十四年分家して一家を創立す 靴鞄商を營む 家族は尚二男孝三郞(大五、一生)長女千代子(同七、二生)三男義之助(同八、九生)四男榮藏(同一〇、五生)あり |
住所 | 東京、日本橋、龜井町八 |
電話番号 | 浪花三六七六 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | いいづか やたろう |
別名 |
岩田武七
現マドラス株式会社の前身、亜細亜製靴の創業者。 岩田武七は靴・鞄だけではなく様々な事業を展開していた事業家で、下記では岩田商店となっている会社は現在、岩田工機株式会社となっています。以下、岩田工機株式会社の沿革より抜粋。
初代武七、明治6年(1873年)26歳にて名古屋市鉄砲町108番地(中区栄3丁目11で、現本社の斜め向かえ)で、屋号、中島屋岩田武七(岩田産業株式会社に改組、現岩田工機株式会社)を開いた。
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 愛知縣在籍 |
職業 | 亞細亞製靴(株)社長、岩田商店(名)代表社員、靴鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治十七年六月 (1884) |
親名・続柄 | 岩田武七の長男 |
家族 | 妻 きた 明二五、一二生、岐阜、佐伯最三妹男 正作 大三、一一生 女 つた 明四四、九生 |
記述部分 | 君は愛知縣人先代武七の長男にして明治十七年六月を以て生れ大正四年家督相續と共に前名正治郞を改め襲名す 靴鞄商を營み傍ら亞細亞製靴會社々長たる外前記會社の重役たり 家族は尚二男孝七(大五、二生)三男誠三(同七、一一生)あり |
住所 | 名古屋、中、南鍛冶屋町四ノ一 |
電話番号 | 東六四〇六 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | いわた ぶしち |
別名 |
加藤忠兵衞
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 大阪府在籍 |
職業 | 靴鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 嘉永六年九月 (1853) |
親名・続柄 | 加藤忠兵衞の二男 |
家族 | 養子 廉吉 明一一、一二生、長女ツヤ夫、大阪、安場禎次郞弟 女 ツヤ 明一七、一二生、養子廉吉妻 養子 清一 明一八、五生、二女ヒロ夫、大阪、平井卯兵衞長男 女 ヒロ 明二〇、一一生、養子清一妻 孫 賢太郞 明三七、六生、養子廉吉長男 |
記述部分 | 君は大阪府人先代忠兵衞の二男にして嘉永六年九月を以て生れ明治十七年家督を相續す 靴鞄商を營む 家族は尚孫明子(大四、八生、養子廉吉長女)同聰太郞(同六、九生、養子清一長男)あり |
住所 | 大阪、東、安土町四ノ一二五 |
電話番号 | 本町九二五 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | かとう ちゅうべえ |
別名 |
高能貞次郞
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 |
職業 | 東京洋傘骨原料(株)取締役、高能繖骨店、三傘堂、高能洋傘鞄店、高能ビルデイング經營 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治二十九年七月 (1896) |
親名・続柄 | 高能辰五郞の二男 |
家族 | 母 ムメ 文久三、八生、祖父住藏二女 |
記述部分 | 君は東京府人高能辰五郞の二男にして明治二十九年七月を以て生れ大正九年家督を相續す 先々代住藏夙に飛脚問屋を營みしが後洋傘商を創め同家今日の基礎を成すに至れり父辰五郞其遺志を繼ぎ業務の發展を圖り外國品を凌ぐ鷹印傘骨の製造販賣に從事す 君は日本大學商科の出身にして其後を承け三傘堂の新商號を以て洋傘小賣部を擴張し兼て高能ビルデイングを經營し東京洋傘骨原料會社取締及び第十四地區土地區劃整理委員 永代橋税務署管内所得調査委員等に擧げらる 家族は尚兄芳太郞(明二二、一〇生)妹春子(同三一、三生)あり |
住所 | 東京、日本橋、通三ノ五 |
電話番号 | 日本橋三一七八、三一七九 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | たかの ていじろう |
別名 |
重田周造
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 京都府在籍 |
職業 | 靴鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治五年二月 (1872) |
親名・続柄 | |
家族 | 妻 キヲ 明二五、六生、兵庫、金子卯吉五女 男 健吉 明三六、五生 婦 まつの 明三八、五生、長男健吉妻、京都、田中竹藏三女 |
記述部分 | 君は京都府人重田新兵衞の弟にして明治五年二月を以て生れ同四十五年分れて一家を創立す靴鞄商を營む 家族は尚孫周治(大一五、四生、長男健吉長男)あり 長女カネ(明三八、一一生、京都市立女學校出身)は分家せり |
住所 | 京都、下京、新京極蛸藥師南入 |
電話番号 | 中三六二八 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | しげた しゅうぞう |
別名 |
高橋彌四郞
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 茨城縣在籍 |
職業 | アヲキ商店、靴鞄袋物類商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治六年一月 (1873) |
親名・続柄 | 高橋彌右衞門の長男 |
家族 | 妻 やす 明一〇、一生、茨城、生井光之助伯母 男 道昌 大元、一二生 養子 靜之助 明二九、一〇生、長女きみ夫、千葉、山下富三郞弟 女 きみ 明三六、二生、養子靜之助妻、府立第一高等女學校出身 |
記述部分 | 君は茨城縣人高橋彌右衞門の長男にして明治六年一月を以て生れ大正十一年兄久治方より分れて一家を創立すアヲキ商店と稱し靴鞄商を營む 家族は尚ほ二男道知(大六、六生)孫道尚(同一二、七生、養子靜之助長男)あり |
住所 | 東京、京橋、銀座三ノ一六 |
電話番号 | 京橋二三二九 |
参照人物 | ※山下平兵衞 |
参照次数 | 1 (※なし0) |
読み | たかはし やしろう |
別名 |
林五作
林五作商店として朝鮮新聞にも広告が出ている。現在の林五とは別。
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 大阪府在籍 |
職業 | 大阪府多額納税者、鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治八年三月 (1875) |
親名・続柄 | 林民津の子 * |
家族 | 妻 かつ 明一七、五生、三重、淺生惣右衞門長女 養子 辨太郞 大二、六生、大阪、林治作三男 |
記述部分 | 君は大阪府士族林治作の兄にして明治八年三月を以て生れ同三十六年分れて一家を創立す 鞄商を營み現に大阪府多額納税者たり |
住所 | 大阪、東、北久太郞町四ノ一一七 |
電話番号 | 長船場二〇九〇 |
参照人物 | 林治作 |
参照次数 | 1 (※なし1) |
読み | はやし ごさく |
別名 |
山下芳松
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 大阪府在籍 |
職業 | 鞄商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治十五年四月 (1882) |
親名・続柄 | 出島吟平の六男 |
家族 | 妻 アサ 明二四、二生、和歌山、小倉政吉姉 男 俊男 明四五、七生 |
記述部分 | 君は和歌山縣人出島吟平の六男にして明治十五年四月を以て生れ同二十八年先代熊吉の養子となり家督を相續す鞄商を營む 家族は尚二女芳子(大五、一生)二男泰治(同七、四生)三女美知子(同九、九生)四女英子(同一三、一生)あり |
住所 | 大阪、東、博勞町四ノ二二 |
電話番号 | 船場一七七一 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | やました よしまつ |
別名 |
由良小一郞
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 大阪府在籍 |
職業 | 由良商店(資)代表社員、靴鞄原料直輸出入商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治十五年三月 (1882) |
親名・続柄 | 由良小兵衞の長男 |
家族 | 妻 こま 明二二、一〇生、大阪、吉村ふさ孫 庶子 健一 明四〇、二生、生母、大阪、小林ヱイ |
記述部分 | 君は大阪府人由良小兵衞の長男にして明治十五年三月を以て生れ同十七年先代セキの養子となり家督を相續す 靴鞄原料直輸出入商を營み合資會社由良商店の代表社員たり 昭和二年歐米各地を遊す 家族は尚庶子一二(明四二、一二生、生母、大阪、小林ヱイ)同好子(大五、八生、生母同上)あり |
住所 | 大阪、東、北渡邊町一四 |
電話番号 | 長本町三七三 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | ゆら こいちろう |
別名 |
橫山久太郞
項目 | データ |
---|---|
位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 大阪府在籍 |
職業 | 久保田屋、鞄原料商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治四年二月 (1871) |
親名・続柄 | 橫山休助の三男 |
家族 | 妻 ユキ 明一三、一〇生、大阪、士、岡田恒行長女 男 謙太郞 大二、二生 |
記述部分 | 君は新潟縣人橫山休助の三男にして明治四年二月を以て生れ後分家して一家を創立す久保田屋と稱し鞄原料商を營む 家族は尚二男昌祐(大四、三生)二女喜美子(同六、一〇生)あり |
住所 | 大阪、東、農人橋一ノ一二 |
電話番号 | 東三〇〇三 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | よこやま ひさたろう |
別名 |
早野彌曾市
この早野彌曾市の先代(つまり父親)となる早野彌曾市は、大阪における鞄製造業の始祖、森田直七と深い付き合いがあり、『森田大人と鞄』という冊子を発行している。
項目 | データ |
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位階・勲等・功級 | |
爵位・身分・家柄 | 大阪府在籍 |
職業 | 雜貨商 |
性別 | 男性 |
生年月日 | 明治二十三年十一月 (1890) |
親名・続柄 | 早野彌曾市の長男 |
家族 | 母 たき 明五、六生、大阪、早野彌兵衞四女 |
記述部分 | 君は大阪府人先代彌曾市の長男にして明治二十三年十一月を以て生れ大正十二年家督を相續し前名民三郞を改め襲名す雜貨商を營む 家族は尚弟柾太郞(明三六、七生)妹愛子(同三九、一一生)あり 弟幾太郞(同三〇、一一生)は分家し妹キミ(同三三、二生)は兵庫縣人早野やすの養子となれり |
住所 | 大阪、東、北久太郞町四ノ九 |
電話番号 | 船場一五四〇 |
参照人物 | |
参照次数 | 0 (※なし0) |
読み | はやの |
別名 | 早野民三郞 |
- 公開日 2021-02-20
- 最終更新日 2021-02-20
- 投稿者 太田垣