1880年(明治13年)宮城県博覧会の鞄

東京での博覧会の大成功を受け、各地で博覧会が開催されました。特に1880年(明治13年)前後は花盛りで、宮城県でも博覧会が開催されました。

場所は現在の仙台西公園、天文台のあたりで、当時すでに仙台区片平町に博物館があったようです。博覧会は60日にわたって、9564種30708点の出品数、4597名の入場者があったようです。 国会図書館収蔵の『明治十三年宮城縣博覧會出品目録』によれば、折山藤助氏が「カバン」を一七個、辻市太郎氏が「手提」を4個出品しています。さらに秋田県の業者の出品物には「胴乱」も見られます。

角枕   一個 兜形氷嚢 二 手提   四   東京府日本橋區鹽町 辻 市太郎  (二區十) 文庫   三 靴    八

帽子  十八個 カバン 十七個 剣術道具 二組  同府下源助町 折山藤助      (二區十三) 槍術道具 一組 竹刀   五本

印籠 二 胴亂 三    同 仙北郡角館町 渡邊万蔵

出典:『明治十三年宮城縣博覧會出品目録』 (カッコ内はページ)

辻市太郎氏は、上記では省略していますが、これ以外に帽子を多数出品しています。また明確に「カバン」と表記しているものを出品している折山藤助の主力商品も、カバンと並んで帽子ということがわかります。つまり二人とも、鞄専業というわけではなく西洋小間物の中の一つとして展示していたようです。
なお折山氏はこの後に第二回内国勧業博覧会にも出品し、更に東京西洋小間物商組合のメンバーとなった重要人物です。

ここでの問題は「カバン」や「手提」の素材です。ウィーン万国博覧会におけるカバンの素材は竹でどちらかというと「バスケット」という感じのものでした。このあとの第二回内国勧業博覧会では革素材となるため、その直前の宮城県博覧会での出品物の素材が何だったのかが重要だと思うのです。残念ながら、今のところこれを確定する証拠は見つけることができていません。


  • 公開日 2013-12-09
  • 最終更新日 2013-12-09
  • 投稿者 太田垣