俳優評判記という歌舞伎などの芝居を取り上げている雑誌にいくつか「カバン」の関する記述が見られます。
1879年(明治12年) 俳優評判記 第4号
明治12年6月に出版された"俳優評判記 第4号"の中にカバンという言葉が確認できます。
…是にて与兵衛はカバンの内より札を取出し五円紙を包で渡し別に茶代祝儀等出して カバンへ錠を下し是をお咲に預る 此内以前の赤牛金太下手より出障子の 透から此様子を窺ひカバンを預たを見て頭を掻引込む…
カバンに錠前をかけるという表現からアタッシェケースのようなものだったのかもしれません。
1881年(明治14年) 俳優評判記 第10号
上記第4号から2年後、明治14年4月に出版された第10号の中にもカバンという言葉が確認できます。
三助が振相だと思て傘を持て来たと言處から綱渡りを仕て見せ様と机を並べて綱渡りを 仕て居る間に三助が饅頭を食て咽へ支へて苦むを見て薬を遣ふと机の引出しを抜て見て もないゆへ鼻くそを丸めて呑せ三助是を飲で咽が通つたこなしにて此薬は何と云薬だと聞と 已然の傘をさし机の引出しをカバンに見立てさげ「本家は大坂」云々にて笑味 のせりふよい思ひ付て有ました
机の引き出しをカバンに見立てた、ということから、箱型もしくは四角形のものをカバンと言っていたということがわかります。
1882年(明治15年) 俳優評判記 第14号
さらに1年後、明治15年2月に出版された第14号の中にもカバンという言葉が確認できます。 変体仮名がよく読めないので文意があまり理解できませんが、どうも上演された芝居の批評文のようです。
同く道具替り明神山の塲 千太が野州徳にゆすられて居る時 今少し思入有たし○、千太が無理くどきになる所は霜夜鐘の おむらと同じ様にて別に仕様もなき事ゆへ評なし□此人は実は女形に 生まれた人○千太に一寸預けられたカバンを後ろで持って居る間 手拭を巻て持て居る抔は人に見せる気もなく仕て居らるるは大請大請
「霜夜鐘のおむら」とは、明治13年初演の歌舞伎「霜夜鐘十字辻筮』(しもよのかねじゅうじのつじうら」にでてくる "お村"という登場人物の事を指すものと思われる。歌舞伎では、お村は見受けされた元花魁で、昔、花魁の頃の 悪い客に襲われそうになるといった役柄。
- 公開日 2024-8-25
- 最終更新日 2024-8-25
- 投稿者 太田垣