1878年(明治11年)1月26日 平沢軍吏副待罪書中不明了の廉検問の処云々 中川裁判大主理

著者:陸軍大尉兼裁判■ 中川勝敏

8月に発生した平沢軍曹のカバン紛失事件の件。裁判になった模様。

陸軍会計軍吏副平沢道次待罪書中不明了ノ廉検
問候処延岡ニ出張中八月十七日可愛嶽本営ヨリ至急御呼出
ニ付出張之営官■丸携■ノ儀戦闘線返■ ニ付照会ニ存
手提ノカバンニ■ ■一同ニ■入レ四尺程ノ■ ■ ニ有カバント外套トヲ左
右ヘ括リ付為■ 高木軍吏馴ト同道書■ 留行本営ヨリ半■
程手前ニアル糧食分■ ■ニ立寄暫時休是候処罷丸十八ノ黎
明以ニテ同■ ■書■軍吏副始メ人ニ■ ■睡眠致候
間カバン■ ■場ニ■金所急キ本営ツ■出ツ処間モマリ同日
候処五時頃賊徒糧食分■ ■ ■ノ■ ヨリ俄ニ襲来劇戦ニ
及一時引上ケ糧食分■カバン■ ■出シ■間会■ ■
■ 線ノ後御場全ク捜索ツ■見当リ無且御軍更副
■ ヘモ■ ■候処■分急劇ノ際有■ニ心付無機全ク賊徒ニ
ヒ所■事■存■全体有■ ■柳軍吏副ヘ相托シ可■ヲ睡眠
申ニ付■場ニ■金■ ■ ■ ■念之■ ■候事 十一年一月廿六日

陸軍大尉兼裁判大主里中川勝敏


  • 公開日 2023-01-10
  • 最終更新日 2023-01-20
  • 投稿者 太田垣