1935年(昭和10年) 「大阪問屋仕入案内 昭和9年版」

国会図書館の近代デジタルライブラリーでネット公開されている資料のひとつ、「大阪問屋仕入案内 昭和9年版」に掲載されている鞄関係の会社を挙げてみます。 この本は「大阪商業振興会」が編集した各会社が1ページの半分の四角いコマを買って広告を掲載するという感じのタウンページのような本で、あらゆる産業の会社が載っています。

鞄関係の会社は「鞄」という章に10社掲載されています。(ちなみに靴は7社)
目次はこのあたりから参照できます。
皮革関係はこのあたりから参照できます。

林五商店

営業品目 鞄 靴 皮革製品一式
大阪市東區北久太郎町四丁目四五
株式會社林五商店
電話 船場2090番、2091番、4994番
振替 大阪9797番
支店 神田區東神田三 東京支店
取引銀行 三和銀行、住友銀行、安田銀行

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106017/16

現在もFivewoodsやRedbridgeといった正統派の紳士革鞄ブランドや海外のRimowa、Tough Traveler等を抱える鞄メーカー大手の林五ですが、昭和4年に株式会社に改組し、昭和9年も大阪に支店を持つなど元気です。この時期は、靴も扱っていたんですね。ロゴマークは「DEER」という文字になっていますので、鹿革を扱っていたのでしょうか。

服部合名會社 大阪支店

営業品目 鞄、靴、スリッパ、帯皮、ゴム製品、ズック製品、其他旅行用具
大阪市東區博勞町二丁目十八番地
電話 船場1470番、1472番
振替口座 大阪2830番、東京4002番
本支店所在地 京都、但馬豊岡
取引銀行 朝鮮銀行 大阪支店、三和銀行 船場支店、昭和銀行 大阪支店、三和銀行 安堂寺橋支店

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106017/16


本店が京都、支店が豊岡にある服部という会社は、現在豊岡に本社のある1910年創業の株式会社服部のことです。同社の公式サイト http://hattori-bag.co.jp/の説明によると「服部」のはじまりは、社史で初代としている服部清三郎の二代前の服部庄兵衛(弁弥から改名)が、天保元年(1830年)に京都市で、「伊勢屋庄兵衛」という家号で創業したのが始まりのようです。
後に、明治18年(1875年)に服部藤輔が旅行用品関連雑貨問屋として服部商店を京都市(下京区烏丸仏光寺下る)で創設しました。このときから、「服部」という屋号が始まりました。

明治43年(1910年)に、服部清三郎が鞄嚢(ほうのう)雑貨卸商として服部合名会社を京都で設立し、全国主要都市に販売網を拡大しました。明治44年(1911年)には、兵庫県豊岡市(現在の本社地)に柳行李(やなぎごうり)の仕入部を設置し、翌年明治45年(1912年)には大阪市内(東区博労町二丁目18)に支店を設置しました。清三郎は5男3女の子に恵まれ家族経営を基盤に、法人設立後は鞄嚢雑貨卸として旅行用品だけではなく、鞄嚢製品として革靴など多品種の卸業を行い、各地への営業展開をしており、その後はフィリピン、大陸満州、上海と販売網は海外にもおよびました。

取引銀行の項に見える安堂寺橋というのは南船場~松屋町のあたりにある橋の名前で、現在も安堂寺町という町名や安堂寺橋筋という名前で残っています。

また朝鮮銀行が取引銀行として載っていることから、朝鮮半島経由で満州との取引を行っていた頃なのかもしれません。カネ尺に「大」「ト」という意匠は現在でも使われています。

服部作次郎氏は、清三郎氏の長女の婿養子で二代目社長に就任、第5代大阪鞄協会会長、大阪鞄商工同業組合組長を歴任していたというので人望と詳細を兼ね備えた人だったのでしょう。
同氏の顔写真が、大阪鞄商工同業組合の参事として33コマ目に載っています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106017/33


西川峰商店 西川政次郎

営業品目 [製造發賣元] 全般學生カバン全般、登山袋「リユックサック」、ズボン釣、バンド、海水浴用品、空氣枕、ゴム製雑貨
大阪市東区北久太郎町四丁目心斎橋筋角
電話 船場352番
振替 大阪12017番
取引銀行 三和銀行 久太郎支店> 、安田銀行 船場支店

丸いクジャクのマークのロゴのほか盾におそらくPROGRESSというタスキがかかったマークを持っています。ネットで探すと1895年創業の株式会社西川峰という袋物を取り扱う会社が見つかりますが、おそらくそれでしょう。


天王寺屋 河野製鞄靴販賣部

営業品目 [實用新案トラ印] 内地及輸出向鞄、文化鞄、實用鞄、文化學生背嚢
[ヒーロー印] 紳士靴、子供サンダル靴、學生靴
大阪市電共済組合特約店、内外向各種鞄靴製造卸
大阪市天王寺區北河堀町二三
電話 天王寺(77)壱壱壱七番、2930番
振替 大阪54982番
第一機械部 河野分工場 大阪市天王寺區北河堀町二三 電話 天王寺(77)2930番
取引銀行 三和銀行 天王寺支店、野村銀行 阿倍野支店

河野製鞄

神戸・長田の靴メーカーであるカワノの事かと思ったのですが、あちらは河野護謨工業所なので違うみたいです。今存在しているとしても社名も変わっているでしょうし、トラ印やヒーロー印では販売していないでしょうし、矢印をモチーフにしたひし形の中にKを書いたロゴも変わっているでしょうから探しようがありません。残念。


梶中商店

合名會社梶中商店
営業品目 各種鞄、靴、スリッパー、バンド、旅行用具
大阪市南區順慶町四丁目三十五番地
電話 船場1358番
電略 カチ
振替 大阪37764番
取引銀行 三和銀行 順慶町支店、住友銀行立賣堀支店、安田銀行 堀江東支店

梶中商店のロゴマークがカネ尺に忠の文字というところからみて、現在の大忠株式会社と思われます。大忠のHPの沿革には「大正6年(1917)大忠初代社長 梶 忠次郎 大阪市西区京町堀にて合名会社 梶中商店を設立、中国・台湾及び北海道に鞄の販売を始める、昭和25年(1950)東区(現・中央区)南久宝寺町に移転」とありますが、昭和8年には順慶町、今の南船場に会社があったのではないかと思われます。


中家淺楠商店

紀伊之國屋 中家淺楠商店
営業品目 輸出内地向 鞄革具一式、製造卸
大阪市西區新町通三丁目五十三
電話 新町四七八番
振替 大阪26803番
取引銀行 第一銀行 西支店、川崎第百銀行 西支店、住友銀行 立賣堀支店

中家浅楠商店は、1922年(大正11年)の1月13-14日の大阪新報にも、主たる鞄製造業者として記事に筆頭で載っている会社で、相応の会社規模を誇っていたと思われます。尻尾が傘のようにくるっとまがったトンボのような虫の意匠が特徴的ですが、現在この会社組織がどうなっているのか不明です。


山田鞄工廠

営業品目 鞄雑貨
大阪市東區北久宝寺町三丁目四番地
電話 船場1359番
振替 大阪64582番
工場 浪速區桜川壱丁目1047
取引銀行 三和銀行、住友銀行、昭和銀行

この鞄業者についてはその後が全くつかめません。ひし形の中にS.Yというロゴです。


丸城商店

合名会社丸城商店
営業品目 燕印学生用鞄、スポーツ印特許鞄、其ノ他手提登山袋背嚢
大阪市東區北久太郎町二丁目
電話 船場2172番
電略 ○シロ
振替 大阪29095番
工場所在地 大阪市此花区吉野町
取引銀行 三和銀行 久太郎支店、安田銀行 船場支店

丸城商店

電信柱に燕のロゴが特徴的なこの鞄業者についてもその後が全くつかめません。


松下商店

営業品目 旅行用鞄、書類入鞄、手提鞄、スリッパ、胴締皮、学生鞄、ランドセール、織物製各種手提鞄
大阪市南區鹽町四丁目四七
電話 船場?192番
振替 大阪80695番
取引銀行 三和銀行 瓦町支店、住友銀行 島之内支店

鹽町の鹽は塩の旧字体。南船場の昔の通りです。ロゴは山傘に「作」。この鞄業者についてはその後が全くつかめません。ベルトという言葉を使わずに胴締皮という言葉を使っています。


平瀬正造商店

平瀬正造商店
営業品目 服入鞄、書類入鞄、学生用雑嚢及背嚢、子供靴、運動靴、紳士用靴、スリッパ、胴締用皮帯
大阪市東區南久太郎町四ノ八
電話 船場1912番
振替 大阪9812番
取引銀行 三和銀行 瓦町支店、住友銀行 船場支店、三和銀行 南船場支店

この鞄業者についてはその後が全くつかめません。こちらもベルトという言葉を使わずに胴締用皮帯という言葉を使っています。まだベルトという言葉が普及していなかったのでしょう。

鞄以外の関連会社

「大阪問屋仕入案内 昭和9年版」の鞄の項以外にも、鞄を扱っている会社がちらほらあります。

巻末に同業組合の一覧があるのですが、そこには、

大阪鞄商工同業組合 服部作次郎
大阪市東區北久寶寺町二丁目四四 大阪小間物卸商同業組合内

とあります。
つまり大阪の鞄の同業組合は小間物卸の一部が大きくなって独立したような経緯が見受けられます。
ちなみに大阪小間物卸商同業組合の代表者は以下で説明する田中常三郎商店の田中常三郎。たしかに、このころからすでに南久宝寺町には婦人向け雑貨のお店が集積しているようで、小間物、糸紐類のところには、鞄(おもにハンドバッグ)を手掛けている店がいくつかあります。


近江屋商店

営業品目 輸出向、内地向 美術袋物、ハンドバツク 製造卸
大阪市東區南久寶寺町三丁目二四
近江屋商店 草野義之
電話 船場 4362番
振替 大阪48993番
工場 市内東區玉造町四九
取引銀行 三和銀行 船場支店、三和銀行 久太郎支店

ひし形にオーナーのイニシャルY.K。


富士屋商店

営業品目 銭入類、手提バック、帯皮類、煙草入、キセル、皮裂製袋物一式
大阪市東區南久寶寺町一丁目
富士屋商店 富士良太郎
電話 船場 2405番
振替 大阪 1129番
取引銀行 三和銀行 船場支店、三井銀行 船場支店

トレードマークには、「在庫品豊富 現金安売主義 見本帳入用の方(以下判読できず)…」等と書かれている


田中常三郎商店

営業品目 袋物問屋
登録商標 末広印 (扇に黒い穴あきの丸)
大阪市東區南久寶寺町3丁目
電話 船場1340番
振替 大阪3043番

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106017/17
大阪小間物卸商同業組合の代表者ですが、これも不明。


浪速靴鞄製作所

営業品目 ブルドック印 子供靴、婦人靴、学生靴、スリッパ、鞄一式
大阪市浪速区元町二丁目三十一番地
ナニハ靴製造発売元
所主 浪速伊三郎
電話   ?戎2014番
振替口座 大阪55267版
支店所在地 大阪心斎橋筋
大阪市浪速區元町電停角
取引銀行 三和銀行市場橋(塲)支店
十五銀行難波支店

商標は、ひし形にI.N (所主のイニシャルですね)


山下芳松商店

営業品目 皮靴 紳士、通勤、労働、通学、ベビー、婦人、運動、防寒用、ゴム靴 有料責任保証付長靴、オーバーシューズ、スリッパ、バンド、折鞄、半ゲートル
大阪市住吉區昭和町中三ノ一〇
山下芳松商店
電話 天王寺2887番
振替 大阪44917番
取引銀行
安田銀行船場支店
仝   南支店
三和銀行船場支店

萬年社のデータベースによると、1926年(昭和2年)11月5日の、土陽新聞に祝五十周年記念の連合広告を不易糊工業等と共に出している。今はどうなっているのか不明。


梶木商店

営業品目 輸出向袋物雑貨製造卸
大阪市東區博労町一丁目二十一
梶木商店
梶木雅良
電話 船場2313番
振替 大阪13740番
名古屋銀行大阪支店
三和銀行 船場支店

今はどうなっているのか不明。


矢澤商店

営業品目 弗入、紙幣入、ハンドバツク、抱鞄、名刺入、シガーケース、帯皮、袋物一式
大阪市東區南久寶寺町2丁目
矢澤商店
支店 東京市日本橋區馬喰町
取引銀行 三井銀行 船場支店、三和銀行 船場支店、三和銀行 安堂寺橋支店

めずらしく広告の中に店主や店内の写真が載っている。今はどうなっているのか不明。


松田長商店

営業品目 銭入、札入、煙草入、ハンドバック、帯皮、其他袋物一式
大阪市東區南久寶寺町二丁目三〇
松田長商店

今はどうなっているのか不明。

サービス新田

和洋皮革
靴鞄原料

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106017/27

33コマ目には服部氏と新田氏の顔写真もある。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106017/33


  • 公開日 2012-03-17
  • 最終更新日 2012-03-17
  • 投稿者 太田垣