1908年(明治41年)明治四十一年
東京勧業博覧会の鞄

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  • 投稿者太田垣

1907年(明治40年)に東京府主催で内国勧業博覧会が開催されました。
本来、政府主催の第6回内国勧業博覧会になる予定だったが、日露戦争の戦費等により財政が悪くなり、規模を縮小し東京府主導で行うことになりました。場所は上野公園でした。
この開催の結果をとりまとめて翌年に出版されたのが「東京勧業博覧会審査報告」です。
以下に、鞄に関して書かれた部分を、書き起こしてみます。可読性を重視し、数字はアラビア数字に、旧字体は新字体に、カタカナ書きはひらがなに適宜書き換えています。

第13部 第118類 携帯品
 審査官 豊丸勝二
 同    笠原吉太郎
 同    井出馬太郎
 同    前田健次郎

豊丸勝二は、皮革鞣しの権威のようで、1897年に農商務省が創設した、海外実業練習生派遣制度による練習生としてトルコに赴いている記録がある。また明治40年には、「工業科学雑誌 第10編第114号」に、『油鞣し法フォルマリン鞣法に就て』という論文がある。
更に、宮崎県都城市立図書館所蔵の上原文庫には1911年の『朝鮮産製革用獣皮 (UH64-2)』という報告書が収められている。
笠原吉太郎は群馬県桐生市生まれの画家で、1897年、政府実習生としてフランスのリヨン国立美術学校に留学している。
井出馬太郎もデザイン・意匠分野の先駆けとなる人物で、東京高等工業学校図案科副科長としていくつかの審査員等を歴任している。明治40年当時は、長年勤めた学校を退いた直後である。 前田健次郎については不明。同じ名前で、東京美術学校出身の有名な建築家が検索できるが産業分野が異なり同名の人物のように思われる。

本類に属する出品は袋物各種と和洋煙草具、洋杖、鞄等を包収するを以て其出品点数も頗る多く総数3821点此出品人員232名なり審査の結果賞選に上るもの143にして其等級を区別すれば左表の如し(但し鞄は豊丸審査官の報告に譲る)

府県 一等賞二等賞三等賞褒状
東京府 4 12 35 50 101
京都府 3 4 7
大阪府 1 2 1
神奈川県 1 3 1
新潟県 1 1
静岡県 1 1
愛知県 1 2 3
秋田県 1
福井県 1
山口県 1 1
高知県 1 0
台湾 1 11 12
韓国 1 1
合計 5 15 44 75 139

袋物は古来より江戸名物の一に算へられしものにして他府県の製品も一に之を倣ふことを常とし京阪其他の大都市に販売する上等品は重に東京より輸送するものなれは東京製品の他に優りて巧妙なるは論を俟たう
其煙草入の形状及仕立方の如きは好尚の推移に因り使用の便否に随ひて幾多の変遷を歴たる今日に在りては著く目新しき出品を見るに至らず
其大体は懐中持と称へ筒、莨入具の品と筒差と称へ木竹、牙角、漆器其他の筒と莨入とを連結せる物との2種に限り古く倶下(ともさげ)若くは合下(あいさげ)と称え鎖又は紐を附し根附を用いし物は野卑の好みとして全く跡を絶つに至れり
紙入、紙幣入其他織物使用の類に至りては機織の進歩に随ひて袋物用に適当の品を見ること尠からす
綴織に至りては殊に佳品を出すこと多く刺繍も亦普通の縫と玉縫ひ縫潰しの類等しく精巧の品を使用するに至れり
皮革類の製品には近来新に蛙皮、蛇皮を加へたり
此原料は概ね本邦産にして舶来の鰐皮、蜥蜴皮等と倶に多く用いらる
此等の皮は洋式莨入、名刺入、紙幣入等に使用せらるるか其他の皮皮革製と共に形式仕立方頗る進歩し毫も舶来品に遜らさるのみならす或点に於いては却りて之に優る所あるか故に欧米人も常に来りて購求使用し又多く輸出をも為すに至ると云ふ

名刺入れなど小物の皮革製品は、大体国産皮革が使われているが、輸入モノのワニ革やトカゲ革等も用いられて、外人も買い求め、輸出もしているという。

巻莨入は金属彫刻物あり皮革製あり樺、籐、竹、藺(註:いぐさ)、鯨等其種類も夥多なるか名家の彫刻に成るものは其価数百金に上るものありて殆と旧時の刀剣小道具の彫刻に豪奢を誇りた遺習を復興したるかの如き観ありて使用上の便否を問はす貴顯縉紳の間に愛賞せらるるは一般嗜好の向上と生活程度の上進とに因らすんはあらす
婦人の携帯品として千代田袋、信玄袋の類男子の手鞄と相並ひて近来の流行品となれり
洋式にては「オペラバッグ」又相応に販路ありと云ふ
洋傘は概して上等品の販路多きに因り今回の出品も其傾向を実現し絹張細巻の精巧品のみ多くして其柄把手握には象牙彫刻金属彫刻あるもの或は純金の輪かなぐを施せるものもあるを見る
婦人用には表に「ドロンオーク」を用い中に薄絹を以て二重張は為せるものあり
其最上等に至りては「レース」飾を附し薄羽二重地に草花模様の刺繍を施せるあり

最近の流行として、女性向けに千代田袋、信玄袋の類が流行していると書いている。オペラバッグも相応に売れているというので、洋式の舞踏会のようなものも開催されていたのだろうか。 「ドロンオーク」は、ドロンワーク(=刺繍)のこと。

鞄は旅行用大鞄「トロンク」、化粧道具入鞄、大小手鞄、折鞄等皆其製作上に著き進歩を示せり
旅行用品の如き近年まては海外渡航の長途に耐へす中途に於て破損するの類往々ありしか今日製出する所の佳品に至りては決して其憂なしと云へり
又此等に使用する都ての金具も粗造にして毀損の速なりしもの漸々改良せられ概して堅牢耐久の実を挙くるに至れり

国産のトランクなどの製造技術が金具も含めて改良されてきていることが書かれている。

齋藤嘉助、沓谷瀧次郎は府下屈指の袋物商にして前述の貴金属彫刻の巻莨入、煙管等には帝室技芸員なる名家の彫刻品も多く出品し一見他に超越するの点あるは勿論なれとも此等品類の外なる普通の袋地若くは皮仕立ての品に於て特に優勝の点あるを見る
畢竟東京袋物の名物として称揚せらるるは一に其縫仕立の精粗如何に在りて存す
庸工の作品と雖も尋常履むへき経路に由りて調製するに相違なきも其出来栄に至りては大に異なる所あるを見る
其特殊の点は専ら製造せしむる者の深厚なる注意に出て良工の至難とし苦痛とせる所を常に奨励督責して研究錬磨せしむるに外ならす
随ひて良工は倍、其技術を進めて竟に超凡の名声を得るに至るものなり
齊藤、沓谷等の出品の優位を占めむるは偏に以上の注意に周到なるに因る共に陞せて一等賞とす
又近年著く発達せる皮革製袋物中に於て特に一頭地を抜けるは熊谷卯八の製品と為す
同人は染革紋革等の製造に尽瘁し余力を以て袋物をも製出せるか其長する所は洋式名刺入、紙幣入等に在りて優に舶来品を凌くの技倆あり
同人は其主たる第百五類出品に於て授与せらるるに因り本類にては擬賞せさるも其成績に於ては没すへからさるものあるを以て特に慈に掲記す

齋藤嘉助は、日本橋區若松町にあった齋藤嘉助商店で、屋号を丸嘉(まるか)という。袋物に関しては、勧業博覧会の入賞の常連で、彫金や装身具なども取り扱っていた。
沓谷滝次郎は、「梅屋」を屋号とする東京市下谷(上野)池の端仲町の装身具・小間物商で、シカゴ博覧会に細かな細工を施したカフスボタン等を出品していた。

洋傘にては阪本友七、井上浅の二人優賞に列す
阪本は府下同業中の巨壁にして殊に上等品製出に名あり会て其嗣子を欧州に派し制作上の視察研究を為さしめ着々改良の実を挙け以て今日に至り井上は大阪市の大家にして輸出の多額なるは全国第一に居る
今回の出品は其専門なる輸出品の低価にして堅牢なる品を出さすして少数の上等品は出せるは聊か遺憾に思ふ所なれとも其実歴に因りて阪本と倶に一等の選に入れり
又岩崎清春は夙に洋傘骨の製造工場を開始し多年励精の結果曩(さき)に専売特許を受けたるも尚之に満足せす焼入法(やきいれかた)及軟生法(なましかた)に就きて更に完全軽便なる一機械を発明し本年再ひ其特許を受けたる等斯業に尽力せる効果空しからす出品の佳良なる甚た嘉すへし一等賞たる所以とす


鞄は前述の如く一般に進歩せしか就中谷澤禎三の出品は大小各種に渉りて構造の精美金具装置の堅実等他に抜出するものあるを以て優賞に入れり
其携帯品に於いて金子直吉、江澤金五郎、飯川榮太郎、澤田治助、佐藤伊右衛門、小林藤兵衛、櫻井榮藏、佐竹巳之助の出品佳良なるを以て二等賞を受け
洋傘に於て古谷正平、小柳八藏、山田金七、神奈川の小島榮次郎、大阪の植芝利吉
洋傘骨に於て高能辰五郎は亦同しく二等賞を得たり
因に洋傘の切地に就き一言せんに始め本邦製絹地は外国製に比し遜色ありしを以て東京高等工業学校染織科に於て試製の結果外国品に匹敵すへき絹傘地を製了せしを以て世間の機業家も終に之を製出するに至り当業者間此種の傘地を呼ひて学校傘地と称すは之か為めなり
然るに印度地方に多額に輸出する綿繻子傘地は我国に於て之を製出し得さるを以て外国の輸出を仰き之を本邦製の傘骨に貼 りて輸出するは已むを得さるなり
機業家中には時に此種の毛繻子を製出せんと企てたれとも之か仕上機械の欠乏と研究の足らさるとの為め今尚成功せさるは遺憾なりとす
当業者たる者益ヾ奮励し以て此種の製造を成功せんことを希望す

鞄は、銀座タニザワの創設者、谷澤禎三が優秀賞を得ており、これに準じて二等賞として、金子直吉、江澤金五郎、飯川榮太郎、澤田治助、佐藤伊右衛門、小林藤兵衛、櫻井榮藏、佐竹巳之助の名前が見える。 金子直吉は、戦前の大財閥の大番頭である金子直吉とは別人だと思われる。 江澤金五郎は、銀座・天賞堂の創始者の江澤金五郎であろうか。 飯川榮太郎は、大和屋飯川榮太郎か。 澤田治助は、日本橋人形町でかんざしや小間物を販売していた澤田治助商店のことだと思われる。

鞄及金具


本類中に於る鞄の出品人員は十九名にして其出品点数は二百三十四点とす往年に比して技術の進歩産額の発達顕著にして出品の多くは製作宜しきを得品質堅牢にして能く実用に適し意匠又佳良るを認む
其中に谷澤禎三は出品都て優良なるを以て一等賞を得松崎伊三郎は鞄及化粧道具入帯皮を以て宮本善之助は鞄各種を以て二等賞を得たり
他府県は概して出品なく褒状に上がるものなし
其受賞等級表は左の如し

府県一等賞二等賞三等賞褒状合計
東京12159
管外----0

近年我国に於ける鞄の需要は著く増進し随ひて此種の製作工業の進歩亦之に随伴して顕然たり
現に海外輸入の防遏せるのみならす清国を首とし東洋諸国に向ひて輸出を見るに至り面も年を逐ふて益々 増加せんとするの傾向あるは最も喜ふへき兆候とす
今最近三ヶ年に於ける輸出先国名及其価格を表示して参照に供せん

輸出先 39年38年37年
英領印度 1,880円 3,423円 3,321
同 海峡植民地 7,101 4.046 8,500
清国 260,084 142,296 20,992
韓国 25,507 27,009 23,175 
蘭領印度 3,060 2,492 2,040 
英領香港 17,672 11,840 9,608 
露領亜細亜 219,201 57,742 -
北米合衆国 2,639 7,827 2,962
其他 7,504 4,506 7,052
544,688 261,181 117,651

右表の示す所に依れは僅々三ヶ年間に輸出総額約五倍に増進せらるを見る
本会に於ける出品の主なるものは旅行用大鞄、大小手提鞄「ドレス、ケース」等にして帽子入れ、化粧具入、折鞄、巻鞄の類も亦少しとせす概して進歩発達の跡を見る
既に前述せるか如しと雖も中には意匠を凝して外観の華美を求むるの余り実用上の適否を顧みすして高貴の材料を濫用し或は品質の堅牢を欲して重量の過大を致し以て価格と実用との二点に於て需要者の満足と便宜とに遠かるものあるを認む
寔に惜しむへきなり思ふに鞄類の需要は世の進運に伴ひ益々増長するは自然の趨勢なれは当業者は宜しく技術を修練すると同時に海陸交通機関の実際に就きて深く意を注き以て用途に従ひて適切の材料を選択し実用品の製出を多からしめんことを努力すへきなり

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