1902年(明治35年)7月の『東京京橋区銀座付近個別一覧図』

1902年(明治35年)の『東京京橋区銀座付近個別一覧図』が、Wikimedia Commonsのフリー素材としてアップされていたので、には、銀座近辺の店舗が掲載されているので、その中から鞄店を拾い出してみました。

◎のあとの数字は電話番号です。

鞄商 谷商店 谷澤禎三   ◎859 (銀座一丁目4番地) ←谷澤商店の書き間違いか
鞄商 谷澤鞄店支店 谷沢定三 ◎859 (銀座一丁目8番地) ←定三は禎三の書き間違いか
袋物商 亀甲屋 高瀬商店 ◎1,945 (銀座二丁目6番地)
西洋小間物輸入商 合資會社辻屋商店 角田寅吉 神田保太郎 ◎150 (銀座三丁目1番地〜2番地)
古物商・袋物商 播磨屋 難波田林之助 (竹川町4番地)
鞄商 大島商店 大島吉五郎 (竹川町6番地)
袋物・煙管・金銀、美術商 松田屋 佐竹袋物商店 佐竹己之助 ◎1,031 (金六町7番地)
靴鞄商 第三鞆屋支店 相場眞吉 二階 大鞄陳列所 ◎16 (銀座三丁目16番地)
鞄商 大石平藏 (銀座四丁目11番地)
鞄商 第一鞆屋支店 相場眞吉 ◎15 (尾張町二丁目15番地)
鞄商 濱田商店 濱田健吉 (出雲町5)
鞄製造業 横山松太郎 (鎗屋町1番地)

谷澤鞄店は、現在と同じ場所の銀座一丁目4番地と、支店が向かいの8番地にあったようです。 地図では谷澤鞄店支店の東2件東隣に伊勢伊商店が確認できます。

伊勢伊ビルは今でも健在ですので、それから逆算すると、谷澤鞄店支店は、今の銀座アスターのあたりにあったようです。
明治期銀座一丁目の地図
亀甲屋高瀬商店のある銀座二丁目6番地は明治屋の2件西隣あたりです。現在の明治屋は当時から拡張しているようなので、現在の明治屋位置か、そのとなりの日本生命銀座ビルのあたりになります。
なお、この地図の12年前1890年に出版された「東京買物独案内」や「東京百事便」では銀座二丁目6番地は、林商店と薄井福三郎という2つの店舗が記載されています。


辻屋商店は銀座二丁目交差点の近く、現在の松屋のあたり。

播磨屋と大島商店は、おそらく銀座7丁目の「とらや」あたりにあったと思われます。

松田屋 佐竹袋物商店は、資生堂からすこし新橋寄りの銀座8丁目の真ん中あたり。太陽ビルの付近でしょう。

横山松太郎は、現在の銀座ガス燈通り 大倉別館ビルの近くにありました。
槍屋町 大倉ビル近辺


鞆屋は、地図上では尾張町二丁目の第一支店と銀座三丁目の第三支店が確認できますが、本店と第二支店が見つけられませんでした。
1890年に出版された「東京買物独案内」では、鞆繪屋というお店が、京橋区南伝馬町一丁目15番地にあります。これの支店ということでしょうか。


  • 公開日 2021-02-11
  • 最終更新日 2021-02-11
  • 投稿者 太田垣