1896年(明治29年)大阪実業人名鑑

大阪広告商報社の大阪実業人名鑑には、多くのカバン関係の会社が記載されています。

カバン及靴商之部
◯東區
淡路町四丁目  飯島繁國堂
南本町四丁目  帯谷徳兵衛
唐物町四丁目  大内治助
安土町四丁目  加藤忠兵衛
高麗橋二丁目  増田林助
南久太郎町四  駒井政七
高麗橋二丁目  小西製靴商
南本町四丁目  赤松熊吉
淡路町五丁目  雨宮喜市
博勞町四丁目  水原源次郎
今橋五丁目   森脇末吉
◯西区
江戸堀南通二  赤松フサ
仝       喜多久之助
◯南区
順慶町四丁目  勝本定七
◯北区
堂島中通二丁  尾田市松

加藤忠兵衛は、現在も[加藤忠株式会社](http://www.katochu.co.jp/)として鞄業を営んでいます。同社会社概要には、以下のように記載されています

明治20年(1887年)に加藤忠兵衛(かとうちゅうべえ)が当時の
大阪市東区安土町4丁目48番に紙業を廃業して、加藤忠商店として
鞄業を開始しました。

高麗橋に小西製靴商という会社が掲載されていますが、1892年(明治25年)出版の日本全国商工人名録[明治25年版]には、伊丹に小西製革場という工場が見えます。同じ小西ですが、なにか関係があるのでしょうか。

参考までに、「和洋製革商之部」も見ておきます。

和洋製革商之部
◯東區
平野町二丁目 大阪帯革製造所
仝      多喜豊治
安堂寺橋通二 川崎安吉
本町四丁目  吉比為之助
唐物町一丁目 森田利兵衛
仝      清水仙助
◯西區
立売堀南通五 小野市松
◯南区
塩町二丁目  早崎喜兵衛
鍛冶屋町   大橋榮太郎
安堂寺橋通三 安藤伊兵衛
仝 一丁目  笹井伊兵衛

これを見ると安堂寺橋通の会社が東区と南区に見えますが、南区が正解で東区は間違いです。 どうもこの時期の革商は安堂寺橋通が多いようです。

今も昔も、付近で堀川に橋がかかっているのは安堂寺通と南久宝寺通であり、特に安堂寺橋は奈良に続く暗超(くらがりごえ)奈良街道筋の延長先にあたり、よく栄えていたものと思われます。

大阪帯革製造所は、新田帯革製造所、大正時代に創業する日本皮革株式会社大阪工場とともに業界をリードすることになる会社です。同社については、『明治大正大阪市史 第2巻 経済篇』(大阪市役所/編纂 清文堂出版 昭和8年)の第5章工業,第8項製革工業及皮革製品製造業に記載があります。

(ハ)調帯 大阪に於ける皮革製調帯は、明治十二年頃多木豊次及千吉兄弟が西區靭中通に大阪帯革製造所を設けて製造を開始したのが初めてであつて、本邦最初の調帯製造業者であるとも稱せられている。

吉比為之助は、1882年に吉比為之助商店として皮革商をはじめ、現在も吉比産業株式会社として続いています。

森田利兵衛は、製靴画見本などを発行している業界の著名人です。


  • 公開日 2020-12-29
  • 最終更新日 2020-12-29
  • 投稿者 太田垣