1881年(明治14年)明治十四年
第二回内国勧業博覧会の鞄

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  • 投稿者太田垣

明治十年の内国勧業博覧会が好評だったのを受け、国はその後第五回まで勧業博覧会を開催しています。

  • 第一回内国勧業博覧会 明治十年  (一八七七) 東京上野公園
  • 第二回内国勧業博覧会 明治十四年 (一八八一) 東京上野公園
  • 第三回内国勧業博覧会 明治二十三年(一八九〇) 東京上野公園
  • 第四回内国勧業博覧会 明治二十八年(一八九五) 京都市岡崎公園
  • 第五回内国勧業博覧会 明治三十六年(一九〇三) 大阪市天王寺今宮

第二回の内国勧業博覧会は明治十四年(一八八一)の3月から6月に東京上野公園で開催されました。博覧会終了から半年後にまとめられた、明治十五年(一八八二)一月十五日出版の記述がある『第二回(明治十四年)内国勧業博覧会審査評語』によると、革製の旅行鞄を「革包」と表現している例を見ることができます。

仝 革包   東京府京橋區南傳馬町 早川八五郎
革質精良縫綴緻密製作堅固ニシテ旅行ノ用ニ適ス其有功嘉賞ス可シ(P171)
仝 革包   東京府芝區源助町 折山藤助
薦告文同上                       (P171)
仝 革包   東京府京橋區南伝馬町 林てう
革質精良縫綴緊密旅行必需ノ具ニシテ運搬ニ便ナリ其有功嘉賞ス可シ(P172)
仝       大坂府東區北久寶寺町 柳田卯兵衛
練熟ノ製著色最モ得タリ能ク携帯ノ用二適ス頗ル嘉ス可シ  (P187)
仝 竹製革包 大坂府東區唐物町 北村半兵衛
練熟ノ製著色最モ雅致アリ釘鉸モ稍□ヲ用イ携帯ノ用ニ適ス頗ル嘉ス可シ(P188)
仝 革製器   兵庫縣播磨國飾東郡姫路東二階町 平井市平
製革別ニ改良ノ点ナシト雖モ能ク常用ニ適ス其紋革ハ画紋□色共ニ未タ精ナラス然レ□塗漆稍軟□ニシテ椅子包装ノ用ニ充ツルヲ得可シ尚勉メテ画紋ノ改良ヲ加ヘハ其用尤モ廣大ナラン蒐輯ノ労頗ル嘉ス可シ   (P201)
仝 革製器 兵庫縣播磨國飾東郡姫路福中町 浦上卯七郎
畳折革包ノ□縫合未タ精ナラスト雖モ稍舊套ヲ脱シ實用ニ便ナリ其他ノ文匣制作練熟ニシテ殊ニ普通ノ画紋ヲ用イス頼山陽ノ□ヲ打出スル意匠頗る嘉す可シ
(P201)
仝 袋物類  東京府下谷區下谷数寄屋町 櫻井利七
各種共に制作□佳ニシテ形状宜シキニ適シ且ツ往々注意ノ至レル所アルヲ視ル其有功嘉賞ス可シ                    (P201)
出典:『第二回(明治十四年)内国勧業博覧会審査評語』
(カッコ内はページ。□は印刷が潰れて判読できない文字。)

革包を出品している早川八五郎氏は、谷澤氏が業界創成期の同業者として名前を挙げていた早川氏のことでしょう。また、ここで注目したいのは宮城県博覧会に「カバン」で出品していた折山藤助が、第二回内国勧業博覧会では「革包」で出品していることです。この「革包」の評語には「革質精良縫綴緻密製作堅固ニシテ旅行ノ用ニ適ス」や「革質精良縫綴緊密旅行必需ノ具ニシテ運搬ニ便ナリ」という評語が付けられており、革製の旅行鞄を指すものとなっていることがわかります。つまりこのときの出品は箱類ではなく、旅行鞄であったことは間違いありません。宮城県博覧会で折山藤助がどのような作品を出したのかはわかりませんが、第二回内国勧業博覧会に出品する一年前の宮城県博覧会の時点で既にカバンという言葉を知っており、それに類したものを第二回でも出品したと考えるのが自然だと思われます。

なお第二回では、「竹製革包」というものも出品されています。つまり、この時期の表現としては「革包」は革製が基本で、竹製や籐製もあるという状態だったと考えられます。このほか「手提革包」「洋服櫃」「提革嚢」「胴亂」「袋物」等様々な表現がみられます。

またこの時期「革包」が「カバン」と読まれていたことが確実になります。展示品一覧を英訳した『内国勧業博覧会列品訳名 農商務省博覧会掛編』という資料にフリガナで「カバン」と表記されているのです。

胴(ドウ)亂(ラン) A portmanteau (器材類P25)
革(カ)包(バン) Valise (器材類P40)
革(カハ)袋(ブクロ) A travelling-bag (器材類P40)
革(カハ)文(ブン)庫(コ) A leather-box (器材類P40)
提(テイ)籃(ラン) A bamboo refieule (器材類P119)
提(テ)革(サ)嚢(ゲ) portmanteau (器材類P122)
手(テ)提(サゲ)革(カ)包(バン)(革(カ)包(バン))ニ同シ (器材類P122)
提佩嚢(サゲドウラン) A portmanteau (器材類P130)
出典:『内国勧業博覧会列品訳名 農商務省博覧会掛編』
(カッコ内はページ)

カバンという言葉さえなかった第一回と比べてみると、第二回においては、革包と書いてカバンと読ませていることが明確にわかります。Valiseはスーツケースの事で、いわば大型の旅行鞄と解することができます。胴乱と提革嚢(てさげ)は同じものと解されており、いずれもportmanteauの訳をあてているのもちょっと面白いです。誰の指南でこのportmanteauという訳語をあてたのでしょうか。フランスの影響を受けた陸軍経由で入ってきたのでしょうか。そして鞄の扱いが、服飾類ではなく器材類に分類されているというのも時代を感じます。

そしてここでは、まだ「鞄」という文字は登場していないことは、別の意味で重要です。定説である谷澤氏が1878年(明治11年)に勧工場で考案した「革包」を「鞄」と表記してカバンと読ませる方法がもしも広まっているとすれば、それから3年後の第二回内国勧業博覧会では、既に採用されていてしかるべきですが、この時点ではまだ「革包」が主流だったということです。

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