1877年(明治10年)明治十年第一回内国勧業博覧会出展の鞄

明治の初めの時期、海外では産業革命の進展と併せてウィーンやパリなど各地で国家規模の博覧会が開催されるようになりました。その隆盛や国家的意義を理解した明治政府は、明治十年に上野ではじめて国家事業として勧業博覧会を開催します。この勧業博覧会では日本中から農業産品や工業品、手工芸品、絵画、陶器、美術品等を一堂に集め、展示しました。

博覧会に関する資料がいくつか残されています。主な資料は以下のとおり。

「出品目録」は、その名の通り出品されたものがリストされているので、情報としては最も多いです。 「人名録」出品物の中から優秀な物品に賞牌が授与されたときの一覧です。 「列品訳名」は外国に説明するための出品物を英訳したものです。 「報告書」は、事業報告資料です。あまり詳しくは載っていません。

明治十年内国勧業博覧会出品目録

まず、明治十年内国勧業博覧会出品目録を見ています。 見たところ、「カバン」という言葉は掲載されておらず、「提籃」「胴乱」「革袋」「革文庫」「文匣」「手提」といった言葉に留まります。 文庫や文匣は、どちらかというと、筆箱とか書類箱のような感じであり、提籃は、バスケットのようなものから、木をくり抜いて作ったようなものまでを含みます。 残念ながら具体的にどのようなものが展示されていたのか写真等は残っておらず、現代のわれわれが想像する「カバン」に似たものがここにあるかどうかは判断が難しいところです。

序文を読むと、「本書は8月21日開場前3日までに到達せし各省府県等の出品目録を州力し印刷せる…」とあります。

カバンが関係しそうな出品分類は、まず内務省第2区 勧商局管轄の「第18類」。 ここは、輸出入に関係した物品がリストされています。この中に「胴乱」が確認できます。しかもこの胴乱は、英国製で絨緞生地だと思われます。 https://dl.ndl.go.jp/pid/801848/1/14

前後を記してみると以下のような感じです。輸入品の項目だと思われ、産地欄に「英」「仏」などと書かれています。

巻尺 英 金物付護謨輪 仏 大小護謨輪 赤同 呼鐘 英 靴墨 米 提紐 革英 護謨糸 同 革帯 同 股引釣 同 蛇玉 仏 皮砥 同 留針 同 手提胴乱 英 護謨枕 仏 胴乱 絨緞、英 洋銀箱 鐵仏

次に、東京府2区第5類として文庫、文匣、香箱、帽子掛けなどが並んだあと、革包が8件、胴乱が2件ほど掲載されています。 https://dl.ndl.go.jp/pid/801848/1/62

革包 (一)科籐円形(二)○文庫(三)角形印籠蓋  (浅草片町 中谷幸七
革包 (一)象皮裏更紗錠前付  (愛宕下町四丁目 高橋新三郎
革包 (一)檜         (露月町 水戸路卯之助
革包 (一)染革木綿布印籠形   (愛宕下町四丁目 加藤源次郎
革包 (一)白、真鍮金物    (築地二丁目 林 亀吉
革包 (一)籐、石田組裏革付 浅草壽町楠大助 (下谷坂本村 坂部熊次郎
革包 (一)南京皮(二)象皮   (米沢町一丁目 石井市五郎
革包 (一)牛革真鍮金具 ○弁当箱(二)小倉織象革前後開 ○煙草入(三)象革茶色 ○額(四)革杉絹細川紙  (柴井町 田中伊三郎

胴亂 (一)鹿皮円形黒桟      (神田佐久間町 渋谷嘉七
胴亂 (一)牛革提籃形、通三丁目北村鐵五郎、築地一丁目一ノ尾安五郎○界紙入(二)黒韋角形 ○革包(三)布製鈍方形 (通三丁目 川上藤兵衛
胴亂 (一)革、東京浅草東三筋町松井平次郎  (横山町一丁目 重松治兵衛
衣食嚢 (一)牛革象皮箱型 (木挽町一丁目 山岸萬之助

通三丁目に川上藤兵衛の名前が残っています。これは銀座タニザワの創業者、谷澤が若いころに奉公したお店の主人の名前です。

川上藤兵衛は、通三丁目に店を持ち、その下職として通三丁目の北村鐵五郎や、築地一丁目の一ノ尾安五郎をつかって制作したようです。 また、少し離れた所になぜかポツンとひとつ革包が掲載されています。

革包 (一)玩弄、芭蕉布 紅革繻子杉板            (上宮比町 本庄喜兵衛

この前後の並びや文中に玩弄とあることや、素材が「芭蕉布、紅革、繻子、杉板」とあるので、布製のおもちゃのようなものなのでしょう。

また、帽子の出品者の中に、胴乱を出している者がいます。 https://dl.ndl.go.jp/pid/801848/1/81

帽子(一)櫻皮釜形網代組○烟管筒(二)銀赤胴無双形格子組(三)櫻皮鯨歯○烟袋(四)利久形網組○卷烟入(五)櫻皮鮫歯撫角形開蓋網代組(六)印籠蓋(七)覆蓋○提胴乱(八)

さらに少し飛んで、煙草入れ、紙入れ、巾着などの並びにひとつだけ胴乱を出している出展者があります。 https://dl.ndl.go.jp/pid/801848/1/105

胴亂 (一)黒革、本所本町川口徳次郎    (横山町一丁目 山西ミキ

https://dl.ndl.go.jp/pid/801848/1/107

胴亂 (一)桟留革蟇口   (東京鳥森町 廣島定助
胴亂 (一)革?子洋銀金具水牛腰插  (田村町 伊藤浅次郎

插は、挿の別字。

群馬県からも2品程出品されています。 https://dl.ndl.go.jp/pid/801849/1/91

提胴亂 (一)篠竹、三原村   (同村  中沢平四郎
提胴亂 (一)木皮、應桑村   (同村  黒岩源十郎

應桑村は、軽井沢の南東あたりにあった村で、現在は群馬県の長野原町の一部です。こんな山中でも竹や樹皮を使って「胴乱」を作っていたようです。

刃物や医療器具を扱う項で、露月町の小松崎茂助が様々な「佩剣」(つまり剣を腰から下げる様々なベルト)を扱っていて、その中に、胴乱が書かれています。 つまり、そういった腰から下げる用途のものも胴乱として考えられていたようです。 https://dl.ndl.go.jp/pid/801851/1/18

○革胴乱(三五) 牛革柴井町  田中伊三郎、銕炮洲湊町田中時次郎、露月町吉村吉五郎

銕炮洲湊町は、現在聖路加病院がある湊・明石町あたり。露月町(ろうげつちょう)は、新橋6丁目、愛宕警察あたりになります。

賞牌褒状授与人名録

『明治十年内国勧業博覧会賞牌褒状授与人名録』という資料にあたって調べてみると、この書物からもう少し鞄関係と思われる受賞者の名前を見てみます。

鳳紋賞牌 革包各種  福田政次郎        (東京府十二)
花紋賞牌 提嚢各種  川上藤兵衛        (東京府廿五
花紋賞牌 革包各種  高橋新次郎        (東京府廿五
花紋賞牌 革包    林龜吉          (東京府廿六
花紋賞牌 革包文匣  村上淸兵衛        (東京府廿六
花紋賞牌 支那型革匣 高橋茂八         (東京府九十三)
褒状   革包    水戸路卯之助       (東京府九十四)
同    同     加藤源次郎        (東京府九十四)
褒状   杞柳製提匣 三木善平         (兵庫縣四)
出典:『(明治十年)内国勧業博覧会賞牌褒状授与人名録
(カッコ内はページ番号)

銀座タニザワ創始者の師匠筋にあたる大坂屋川上藤兵衛の名前が見えます。 また、高橋新次郎氏は、『沿革史』で言うところの高橋新三郎のことではないかと思います。どちらかが誤植なのだと思います。

この賞牌褒状授与人名録では、鞄に近い概念の単語として、匣、篋、筐などで表現される箱類もいろいろ出品されています。この中には単なる箱もあればトランクのような運搬可能なものも含まれているように思われます。

衣篋、小衣篋、編竹衣篋、省籐提筐、擬革紙文匣等の記述がありますが、それらが現代の感覚で「カバン」なのかどうかは、なかなか判別しがたいところです。篋はおそらく竹製の箱でしょうし、匣は木や紙等で作られたものだと思われますが、それが単なる収納箱だったのか、運搬の用途に使われたのかはよくわかりません。字面だけで考えると省籐提筐などは、籐製のバスケットのようなものだったのかもしれません。

更に「革包」についても、たとえば兵庫県からは数名が革包家具という物を出品していますが、これは姫路の革文庫の技術を応用し、文字通り革でくるんだ家具だったようで、いわゆるカバンでは無かったようです。

鳳紋賞牌 革包家具  平井市平          (兵庫縣一)
鳳紋賞牌 革包家具  浦上卯三郎         (兵庫縣一)
鳳紋賞牌 革包家具  浦上卯七郎         (兵庫縣一)
鳳紋賞牌 革包家具  三木善平          (兵庫縣一)
出典:『(明治十年)内国勧業博覧会賞牌褒状授与人名録』

博覧会委員報告書

『人名録』とは別に、『内国勧業博覧会委員報告書 』という資料もあり、この中には今後産業として育成すべきかどうか等の観点から出品物の論評が簡単に載っています。

先の「革包家具」については「浦上及平井等ノ革箪笥及文庫等悪シキニハアラザレドモ箪笥ニ造ルハ好マシカラス。小箱若クハ女用ノ小ナル手提物又ハ旅行ニ用ウル物書キ台ノ類ヲ造ラバ佳ナラン。」とあります。

つまり、小さなものならともかくタンスに革を使うのはいかがなものか、ということで、あまり評判はよろしくなかったようです。つまりこの例では「革包」は私たちの考える「カバン」ではなく文字通り革で包んだ家具という意味で使っているのです。はたして「革包」と書いて「カバン」と呼んでいたのかどうかは不明です。

列品訳名

『内国勧業博覧会列品訳名』という冊子もあります。これは博覧会の出品物名に英語の対訳を付した資料です。カバン関係の用語を抜き出してみましたが、「カバン」という読み方は『内国勧業博覧会列品訳名』という資料でも確認できません。

胴(ドウ)乱(ラン)        A portmanteau    (P49
革(カハ)袋(ブクロ) (器)   A travelling bag   (P78
革(カハ)文(ブン)庫(コ)(器) A leather-box     (P78
提(テイ)籃(ラン)       A baomboo refieule  (P226
手(テ)提(サゲ) (器)    A bag        (P230
出典:『内国勧業博覧会列品訳名
(カッコ内はページ番号)

一番気になる「提嚢」や「革包」については残念ながら対訳が載っておらず、当然読み仮名もわからないので、提嚢や革包が当時どのように読まれていたのかは定かではありませんが、少なくとも右にあげたような関連した用語においては「カバン」という読みはしていなかったようです。また、「革盤」という言葉も見当たりません。


  • 公開日 2013-12-09
  • 最終更新日 2024-07-25
  • 投稿者 太田垣