『明治期万国博覧会美術品出品目録』という資料には明治初期の様々な博覧会の出品目録が整理されています。明治六年(一八七三)ウィーン万国博覧会の出品リストの中に「カバン」というカタカナを確認することができます。これが、筆者が現在知りうる限りにおいて、「カバン」という言葉が活字になった最も古い表記です。

二百二十   カバン  竹網代・万筋 二ツ入子 六組
兵庫縣  中村長次郎(元)拾三円五拾銭 壹ツニ付壹円拾貳銭五(売)壹ツ八フロ 壹六フロ
二百廿一   カバン  竹・千筋   四・内三ツ賣店 
兵庫縣  但石田持帰ノ口(売)壹ツ三フロ
二百廿二ノ一 カバン  竹・上千筋  貳
兵庫縣  但石田持帰ノ口(元)壹円廿五拾銭(売)壹ツ六拾貳銭五厘 (売)四フロ
二百廿二ノ二 小カバン 竹      貳
       兵庫縣         (売)五拾カライツ
出典:『明治期万国博覧会美術品出品目録』(P73)

目録ですから、通し番号が降られ、品目や数量、価格などが記されています。

この資料からは、兵庫県からカバンと言われるものを展示したことがわかります。ただしこの場合の「カバン」は、材料から推測するに繊細な網代の竹細工であるところから、いわゆる現代の「カバン」とは概念がいささか異なるように思われます。この時期の兵庫県には、姫路近辺や豊岡近辺は含んでいませんから、兵庫県の竹細工というと、有馬あたりの竹細工工芸品だったのではないかと思われます。

仕入れ価格が十三円五十銭で、販売価格が八フロしたと書いてあります。当時のオーストリア帝国の通貨単位は、百オーストリア・クロイツァが一フローリンという単位でした。どの程度の価値があったのかまではよくわかりません。この展覧会には「胴乱」の出品も確認できますが、こちらも材料は革ではなく藤弦か籐で編んだものが出品されています。

四百五十一  胴亂 藤・花組真鍮 三
東京 (元)花組貳拾貳円 一拾壱銭円ツツ
           (雑)網代五円五拾銭
(売)五拾フロ 三拾フロ 宮川分八拾フロ
四百五十一 胴亂 藤・二段口小型
       ・宮川製 (元)拾壹円
出典:『明治期万国博覧会美術品出品目録』(P85)

こうしたことから、当時の「胴乱」「カバン」「提籃」等の区別は現在とは違うものだったか、そもそも境界が曖昧だたったか、あるいは地域差やを含んだものだったのではないかと考えます。

またこの万博には「ランドセル」の出品もありました。

五百廿八 ラントーセル  骨柳 壹   豊岡縣
出典:『明治期万国博覧会美術品出品目録』(P89)

骨(こつ)柳(ごおり)というのは柳行李のことなので、これも今のランドセルのイメージとは少々異なるようです。一体どのようなものだったのでしょう。また、豊岡までランドセルという言葉がどのようにして届いたのでしょう。

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