1897年(明治30年)07月08日 電信暗号盗難に罹りたる件

著者:陸軍省

陸軍省受領壱第六四六号
陸軍大臣 桑波多少佐

今朝盗難ニ会ヒ電信暗号ヲ
 失フ
   七月八日前十時京城発
      〃   前十一時四十五分巳上

 陸軍省副官
    山田長人    桑波多少佐
電文
 今
 午前二時前後寝間ニ盗難忍ヒ入リ暗
 号之第一四七号其他要品右ノ手カハン
 取ラレ勅グ警察官ト協議シ捜索中ナリ
 七月八日午後十一時 接手

これは急ぎの電報で、このあとの報告書「鮮報第18号」で細かい顛末が報告されることになるのですが、実は、報告書の中ではカバンとは書かれておらず、革製小嚢 という表現になっています。 明治30年の時点でも上司には「カバン」では通じないだろうという気持ちがあるのでしょう。

鮮報第十八号
電信暗号紛失に付報告
先キに電信ヲ以テ概報仕候通リ當守備隊ヘ御渡附ノ
電信暗号元第一四七号昨七日夜窃取セラレ候最モ
該暗号ハ軍事上重要ニシテ特ニ秘密ヲ要スルモノニ付常ニ
注意シ軍用行李ニ格納致シ置キタル處該行李錠前
破損ヲ生シタルニ依リ更ニ革製小嚢ニ入レ行李中ニ納メ寝
室(舎ノ都合ニ依リ荷物ハ副官ノ傍ニ在リ)副官臥床ノ傍ニ
置キタル處不■モ同日午後十一時ヨリ翌日二時過迄ノ間ニ
窃盗忍ビ入リ革製小嚢(電信暗号並ニ金五十餘円
在中ノ侭)及ヒ傍ニ掛ケ置キタル副官ノ雨覆ヲ盗ミ去リタリ
(以下省略)


  • 公開日 2023-01-10
  • 最終更新日 2023-01-20
  • 投稿者 太田垣