鞄の歴史研究 1872年(明治05年) 軍のランドセル

明治政府が発令した様々な文書が収められた「公文別録・陸軍省衆規渕鑑抜粋」という記録が国立公文書館に所蔵されています。この明治5年1月の文書に「ランドセル」という言葉が載っていました。公文書に記載された言葉としては、かなり初出に近いものだと思います。

まず、明治4年11月4日に、「親兵三兵靴衣服修復料支給方ヲ定ム」という伺いが会計局から本省へ出されます。
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001694019

四年十一月四日
親兵三兵靴衣服修復料支給方を定む
 会計局より本省へ伺
来る十二月二日より御親兵三兵共
人に付左之通相渡候事
一、靴修復料  一人 一朱
一、衣袴修復料 一人 一朱
右は先つ行試に付此負数丈食料月給月渡之通直に
其隊にて相渡其隊より各負へ割掛候哉又は靴工縫
工省の隊は右負数を総合して会計給養より月々修
復元入費を本文額金に不出様検査仕拂候放右両様
之中御一決被下各課へ御布告被下度候事
 但銃器修復料月々額金多分之過金有之候に付来
伺之通 衆規渕鑑

内容は「官軍の靴や衣服の修理代を経費として計上したいと会計局から本省への伺いで、修復代としてひとりあたり一朱分の金額を経費計上するようにしてはどうか、12月から試行してみたい」という申し出です。
ちなみに親兵三兵とは、官軍の薩摩、土佐、長州を指し、将来の近衛兵となる組織です。

申請は受け入れられて12月8日より実施となったようで、下記文書にそのことが記載されています。
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001694021

四年十二月八日
親兵三兵靴衣服修復料渡を定む
 御親兵掛達
御親兵三兵共衣服修復料渡方之儀に付過日相達
置候更右金賃之儀 各隊会計給養掛りへ預り置現
品検査之上修理を加へ入費明細月々取調会計局へ
可差出候事 衆規渕鑑

これに続けて、翌月明治5年1月には鎮台という全陸軍組織に同じ方式を取り入れたいとの伺いが出ます。 12月の試行がうまくいったのでしょう。
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001693912

鎮台はオランダ陸軍式の部隊編成で今でいうXX師団にあたる全国の軍隊組織です。 注目すべきは、この中に「ランドセル」「背袋」という言葉がこの公式文書の中に出ているということ。

五年正月十三日
鎮台諸兵靴衣服等修復料を給す
  会計局より本省へ伺
 鎮台諸兵隊靴衣服追々破壊強く差迫候趣きに付去
 未十二月御定相成候御親兵同様当分之中左之通御
 定め相成度存候間早々御決議被下度候事
 一、靴修復料  一人 金一朱
 一、衣服修復料 一人 金一朱
 右之通り御取定相成候上は武庫司渡し銃器喇叭
 ランドセル修復料之儀も御親兵同様左之通御達被
 下度事
 一永三百八文四分弐厘
 指令
書面靴衣服修復料当分従前之通
 但銃器喇叭背袋修復料之儀は御親兵同様武庫
 司渡之事 衆規淵鑑

文意は「陸軍の靴や軍服の破損がひどくなってきたので、昨年12月に親兵に適用した方法と同じやりかたで修復料を定めたい。 銃器やラッパ、ランドセルについても12月の試行と同じように、武庫司の管理としたい。」ということです。

おそらくこの前に、軍にランドセルなり背袋を支給する手続きがあったのではないかと予想されますが、 初出にかなり近いことは間違いないと思います。
ただ、これよりのちの文書では今のところ「ランドセル」という言葉は見つからず、もっぱら「背嚢」という言葉が一般的に用いられるようになったようです。


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