08 明治初期の輸出入統計

デジタルアーカイブとして公開されている「大日本各港輸出入物品九箇年一覧表 明治1-9年」は、内務省勧商局が編纂した貿易統計資料である。 表題などは英語とフランス語も併記され、対外的に通用する資料として作成しようとした苦労がうかがわれる。

◆P15 #135 革類/斤 Leather/C’ty Cuir/Cty

数量 金額(円)
明治元年(1868) 183,450 183,450
明治2年(1869) 124,408 27,648
明治3年(1870) 116,372 24,526
明治4年(1871) 371,787 120,088
明治5年(1872) 1,195,763 127,116
明治6年(1873) 858,018 196,845
明治7年(1874) 834,687 274,863
明治8年(1875) 913,394 291,643
明治9年(1876) 1,068,241 289,239

皮革の輸入は1872年から飛躍的に伸びているのがわかります。ちなみに1871年に大日本帝国陸軍の鎮台(師団)が初めて設置されています。なにか関係があるのでしょうか。

◆P18 #198 革文庫 Trunks Malles

数量 金額(円)
明治元年(1868) —– —–
明治2年(1869) 904
明治3年(1870) —– —–
明治4年(1871) 1,293
明治5年(1872) —– —–
明治6年(1873) —– —–
明治7年(1874) 1,832
明治8年(1875) 187
明治9年(1876) 400

革文庫と書かれているが、英語でTrunkとある。皮革や靴の輸入量に比べると、極めて少ない数である。しかもその何割かは日本に駐留している外国人の手に渡っていると思われ、日本人の目にどれだけ触れていたのかはかなり疑問が残る。ただ、貿易輸入品としてはこれだけなのかもしれないが、いろいろな輸入物を梱包する資材の一部として使われていた可能性もあり、上記数量以上に出回っていたのではないかとも想像する。
ここでの収穫は、明治10年頃の言葉の概念として、Trunk=革文庫という名称で輸入されていたということ、bagという名称での輸入はなかったことなどが挙げられる。

◆P18 #199 靴類 Boots&Shoes Bottes et soeliers

数量 金額(円)
明治元年(1868) 33,512 49,480
明治2年(1869) 18,732 13,147
明治3年(1870) 52,408 48,711
明治4年(1871) 1,293
明治5年(1872) 111,689 112,979
明治6年(1873) 233,647 296,615
明治7年(1874) 16,636 24,442
明治8年(1875) 18,454 26,188
明治9年(1876) 20,227 17,822

靴製造の背景として、1870年3月、築地に「伊勢勝造靴場」が設置され、1871年12月17日、官庁に出勤するスタイルとして靴履きが許可されている。とはいっても第二次世界大戦前までは民間ではまだまだわらじ、草履履きが普通だったわけで、官吏や軍関係者、お金持ちのための特別な服装だったと考えるべきなのだろう。それにしても1871年から1984年までの輸入量の大幅な変化はどのような理由によるものなのだろうか。

*ページ数はデジタルアーカイブのページ番号