01 「鞄」の起源は一般にどう認識されているのか

鞄の歴史に関して、いくつかの鞄関係サイトにその記述がある。まずはそれの記述がどうなっているかを確認してゆこう。

ただし、その記述が正しいとか間違っている等と揚げ足をとるためにここに紹介するのではなく、そういった一般的な理解が世間にあるのだ、ということを押さえるために紹介することをご理解いただきたい。

まずは、とにかく日本鞄協会のホームページをチェックしてみる

草創期─“鞄”の語源は、オランダ語の“カバス”から

日本で初めて鞄が作られたのは、明治初期。外国人が修理に持ち込んだものを真似たのが始まりで、 オランダ語のカバスを語源とする鞄という言葉もそのころから使われ始めたと言われています。 しかし、その呼び名はなくても、日本における鞄の歴史は、それよりずっと以前から始まって いました。武士たちが鎧を入れた「鎧櫃(よろいびつ)」、医者の「薬篭(やくろう)」、床屋の道具入れ としての「台箱(だいばこ)」、そして庶民が旅行の時に使った柳ごおりなども、すべて鞄の役割を 果たしていました。

日本鞄協会のホームページより

鞄の名称

カバス(スペイン語)、挟板(キャハン、支那語)、堤嚢、革盤、革包等々種々な名称、語源があり、以上の中の革包が転化して鞄(かばん)になったと言われています。

日本鞄協会のホームページより

面白いのは、同じ日本鞄協会のホームページなのに、ページによってカバスがスペイン語だったりオランダ語だったりすること。スペイン語というのはあきらかに間違いだと思われる。

鞄の諸説を集約しての呼称

革の工人、革具師、馬具師、文庫職人等々に依る発想で、1869年(明治2年)頃から1877年(明治10年)頃にかけて通称、胴乱が鞄になり、「鞄」漢字の常用は1881年(明治14年)頃と言われています。以上、現在にあっては古来からの確定的要素をもつ文献がなく、推測的なものが多いようです。

日本鞄協会のホームページより

次は、銀座タニザワのホームページをチェック

なんといっても鞄の文字を考案したという、銀座タニザワのホームページを参考にしないわけにはいきません。「タニザワの歩み」というページには、以下のような記述がある。

1874年 明治7年  初代谷澤禎三、日本橋川上藤兵衛に師事し、タニザワの母体を築く。
1890年 明治23年 銀座に店を構える。禎三が考案したといわれる「鞄(かばん)」の文字を看板に掲げたところ、これが銀座をお通りになった明治天皇のお目にとまり、侍従職を通し「何と読むか?」との御質問を受ける。これをきっかけに「鞄」の字が全国に広まったと伝えられている。

銀座タニザワのホームページより

このタニザワというお店は、日本の鞄黎明期の中で非常に重要な位置にあるお店である。この先を読み進めるためには、上記年代、登場人物をしっかり記憶しておくほうが良い。

これが、たとえば銀座の公式WEBサイトになると、このように少し変化する。
銀座コンソルジェホームページの銀座のおもてなし名人 アキュイユな人2001 第4回より、銀座タニザワ・コンシェルジュ小形 享さんへのインタビュー記事

鞄という字を創ったお店

銀座1丁目のタニザワさんには、大きなストーリーがあります。「鞄」という字を、考案したこと。明治になって西欧の文物が我が国に入ってきたとき、それぞれのものに漢字を用いた日本語があてはめられました。でも、トランクやスーツケースあるいはラゲッジという英語はすぐには入ってこなかったのか、相当する名詞や漢字が当てられていませんでした。カバンという言葉自体は、中国語の“箱”“櫃”を意味する“キャバン”“キャマン”から変化したといわれ、「夾板」という2字の漢字で表わされていました。昔々、大事なものは木で作った箱に収められていたことからきています。しかし、近世・近代になると皮革で作り持ち手を付けたトランクやスーツケースができ、その字がなかったのです。そこで、カバンにあたる漢字を創字したのですが、その方が銀座タニザワの創業者でした。

世間一般の書き方は

さらに、もっと簡単な説明になるとこうなってしまう。

「鞄」という字を発明した銀座タニザワですが、こんなに可愛らしいアクセサリーもあるんですよ!

銀座コンシェルジュ – 銀座学入門 vol.155 「銀座のホワイトデー」2005

とか

先日、銀座のタニザワで鞄を買った。黒いダレスバッグである。タニザワは「鞄」という漢字を作った店として知られる。

週刊 読書のおかず 2004年10月24日のエントリより

ということで、まるで伝言ゲームを見ているような感じである。