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明治7年 歩兵隊附尉官背嚢雛形

明治7年4月29日の陸軍省の通達に、陸軍達布第百九十二号として歩兵隊附尉官背嚢雛形という記事があります。

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明治7年4月29日
歩兵隊附尉官背嚢雛形

陸軍省達 陸軍全部
布第百九十二号
歩兵隊附尉官背嚢の儀 別紙雛形の通定候に付銘
々自費を以て相調置 出征行軍或は野営演習等の
節負擔可致此旨相達候事雛形略之
但副官等乗馬の者は負擔に不及候事

陸軍省達 近衛局各鎮台
兵学寮教導団

布第二百号
布第百九十二号を以相達候 歩兵隊附士官背嚢色合
の儀は一般に墨革相用ひ可申 其地革の如きは地方の
便宜を以て各自の好に従ひ不苦候此旨相達事 七年
五月八日
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※負擔とは背負うこと。

自費で買えというのがなんともいえません。
また、続く第二百号では色合いについて、墨革に統一せよ、と記しているので、おそらく黒に統一せよということでしょう。(墨革=黒という解釈はただしいのだろうか?)
ただ、地革は、好みに応じてどうぞ、ということなので牛革、豚革などは問わないということなのでしょうか。
残念ながら別紙の雛形というのが見当たらない。どこかにあるのだと思うのだけど…。

 

ちなみに半年後の、明治7年09月25日の陸軍達達第三百五十三号では、
東京鎮台の背嚢は毛付革製のところを当面ゴム製を取交えて与えるという話になっています。 供給が追い付かないのでしょうか。それとも予算上の問題なのか。はたまた性能がいいからなのか?
 

大正天皇大喪儀関係文書に見る鞄関係資料

国立公文書館のデジタルアーカイブの中に「大喪儀関係文書・大正天皇大喪使事務書類十四・調度費支出書類」という資料群がありました。

残念ながらネットでの文書スキャン画像閲覧はできないみたいですが、タイトルだけは開示されています。

用四百六十八 八切取枠入鞄外四点 株式会社服部時計店

八切取枠入鞄とはどういうものなのでしょう?

用四百七十二 携帯用バック外四点 株式会社高島屋呉服店

携帯用バックとは、婦人用のハンドバッグのようなものなのでしょうか?

第四百三号 鞄

これはタイトルに鞄としか書かれていないので、文書の中身がわかりません。

【本】鞄談義

神戸の鞄工房ル・ボナーのブログエントリー「お知らせと「鞄談義」の事」によれば
古山画伯やル・ボナーの松本さん等、知る人ぞ知る鞄好き7人が繰り広げる超マニアックな「鞄談義」という本がいよいよ発売になるようです。
入手困難なマニア本になることは必須なので、興味のある方は早めに押さえておきましょう(^^;
Amazonでの発売は未定とのことですが、自費出版に近い形の出版物だと思うのでISBNコードの扱いとかいろいろ難しい問題があるのかもしれません。

とりあえず国会図書館とか地元の図書館には納本しておいてほしいですね。

明治5年の「ランドセル」

明治5年1月の文書に「ランドセル」という言葉が載っていました。かなり初出に近いと思います。

明治4年11月4日、「親兵三兵靴衣服修復料支給方ヲ定ム」という伺いが会計局から本省へ出ています。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A03023148100?TYPE=jpeg

官軍の靴や衣服の修理代を経費として計上したいと会計局から本省への伺いで、修復代としてひとりあたり一朱分の金額を経費計上するようにしてはどうか、12月から試行してみたい という申し出。
ちなみに親兵三兵とは、官軍の薩摩、土佐、長州を指し、将来の近衛兵となる組織です。

申請は受け入れられて12月8日より実施。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A03023148300?TYPE=jpeg

これに続けて、翌月明治5年1月には鎮台という全陸軍組織に同じ方式を取り入れたいとの伺いが出ます。 12月の試行がうまくいったのでしょう。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A03023137200?TYPE=jpeg

鎮台はオランダ陸軍式の部隊編成で今でいうXX師団にあたる全国の軍隊組織です。 注目すべきは、この中に「ランドセル」「背袋」という言葉がこの公式文書の中に出ているということ。

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明治5年正月13日 鎮台諸兵靴衣服等修復料を給す 会計局より本省へ伺

鎮台諸兵隊靴衣服追々破壊強く差迫候趣き付去
未十二月御定相成候御親兵同様当分中左通御
定め相成度存候間早々御決議被下度候事
1、靴修復料  一人 金一朱
1、衣服修復料 一人 金一朱
右乃通り御取定相成候上は武庫司渡し銃器喇叭
ランドセル修復料之儀も御親兵同様左之通御達被 下度事

一永三百八文四分弐厘

書面靴衣服修復料当分従前之通
但銃器喇叭背袋修復料之儀は御親兵同様武庫
司渡之事
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文意は「陸軍の靴や軍服の破損がひどくなってきたので、昨年12月に親兵に適用した方法と同じやりかたで修復料を定めたい。 銃器やラッパ、ランドセルについても12月の試行と同じように、武庫司の管理としたい。」ということです。

おそらくこの前に、軍にランドセルなり背袋を支給する手続きがあったのではないかと予想されますが、 初出にかなり近いことは間違いないと思います。
ただ、これよりのちの文書では今のところ「ランドセル」という言葉は見つからず、もっぱら「背嚢」という言葉が一般的に用いられるようになったようである。

明治期の洋服の浸透(メモ)

桜井保子氏「日本における洋服受容の過程 ~明治前期~」(中国短期大学紀要)の論文より、若干のメモ。

慶応4年06月 衣服制度御下問。このあたりは「太政官日誌」を渉猟する必要あり。

明治3年12月 海軍服制、制定

明治4年04月 陸軍服制、制定 この頃、郵便、鉄道等制服を採用する職務が急増する。

「新聞集成明治編年史」によれば、明治4年に横浜52番ロースマンド、東京表茅場町柳屋店から「洋服屋開店」の広告。この広告の中で市場に出回る洋服は、古着屋や袋物師が仕立てているので身の丈に合わないと主張しているらしい。

つまり袋物師は海外の洋服を手に入れるルートを持っていたということか。

明治5年 慶応義塾内に衣服仕立局、設置。

明治10年 西南の役により、官軍に軍服の大量発注が発生。戦役後にはこの軍服が中古市場に流れて「払い下げ屋」が流行。

明治11年 海軍兵学校に洋物裁縫所設置。

明治14年 東京巡査の夏服が洋服になる。

明治15年 三府所在の裁判所法官の制服が洋服になる。

明治19年 陸軍被覆本廠設立。