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大阪新報(大正11年)の記事~大阪市の鞄製造業~

神戸大学のアーカイブ資料として、大阪新報の記事が公開されている。その中の1922.1.13-1922.1.14(大正11)に、大阪市の鞄製造業という記事がある。

大阪市の鞄製造業 (一~二)

大阪市の鞄製造業(一) 生産状況

大阪市内の鞄製造業は明治初年の頃より漸次発達し来れるも、最初は胴乱と云う皮革製の腰提と肩掛けとの二種ありしのみ、

重に軍人用にして馬具屋の極めて小規模なる家内工業に外ならざりし、後西洋鞄の輸入に刺戟されて製品の改良を見、織物製のものをも出し「カバン」(革盤と書せり)と称せられ軍人以外にも広く使用さるるに至れり、

爾後益々発展し、当業者亦大に増加し、明治二十六年の交専業者三十余戸を数え、海外の需要激増し、前途有望なる工業となりたり、翌二十七年には重要物産同業組合準則に依る同業組合を組織し、其増産と改良とを図り、三十八年には五十余万円中、輸出二十余万円の盛況に達せり、

→明治26年頃には30社余りの鞄関係の会社があったようだ。明治27年に同業組合ができ、明治38年には生産高のおよそ40%の20万円程度を輸出している。

依って更に鞏固なる同業組合組織の必要生じ四十年十二月重要物産同業組合法に依る組合設立の認可を得て以来進境特に見るべきものあり、

且つ大戦開始と共に輸出頓に加わり、大正九年の製造高は五百二十六万一千円に上り、前年に比しては約二割の減少なるも、開戦当時の大正三年の百五万五千円に較ぶれば全く五倍にして発展の度著しと云う可し、左に同業組合の調査にかかる大正四年以降の製造額を掲げん

→大正3年頃には105万円だったものが、大正9年には5倍の526万円の生産高となっている。

製品はトランク及服入、半畳等の大手提鞄より、手箱、棒屋根、手屋根弗形、久徳形等の小形手提鞄其他抱鞄(折鞄)雑嚢等種類極めて多きも製産金額に於て大手提鞄を第一とす、大正九年の製造高は皮革製百五十二万五千円織物製四万一千円合計百五十六万六千円に上り、全製産額の約三割に相当し、小手提鞄之に次ぎ、同じく皮革製六十三万九千円、織物製一万二千円、合計六十五万一千円を算し、雑嚢、トランク、抱鞄等之に次げり、左に品種別製産額を示すべし

→「大手提鞄」が一番の生産品ということで、その内訳が書いてある。革製が152万円、布製が4万円と圧倒的に革製が多く、全体の30%を占めている。「小手提鞄」は革製64万円、布製1万円程度。

又各種鞄の流行変遷を見るに略ぼ左の如く、此の結果現時の流行形を出すに至れるなり。
一、丸形鞄 大きさ尺二三寸、明治初年より同十二、三年迄需要ありしもの。
二、畳鞄 大きさ尺五寸迄、明治十二年頃より同三十二三年頃迄一般に需要ありしが、以後輸出のみとなり最近迄製作せり。
三、ドル形鞄 大きさ七八寸より尺二寸迄、明治十二年頃より同二十七、八年頃迄相当売行きあり。
四、独逸形鞄 前記ドル形と同時に流行せり。
五、頭嚢 は明治十八年頃より同三十四五年迄用られたるもの。
六、底折鞄 明治二十六年頃より同四十二年頃迄内地向輸出向共に相当需要あり。
七、衣装入鞄 明治二十年頃より同三十三年頃迄輸出向として相当売れ行けり。
八、織物製叭形鞄 衣服入用として明治二十三年頃より同四十年頃迄盛んに流行せり。
九、久徳形鞄 明治三十三年頃より同四十五年頃迄可なりの需要あり。

→明治後半の鞄の流行が並べてあるのだが、ドル型、独逸型、久徳型など、調べてみないとわからない型が書いてある。大正11年といえば、第一次世界大戦の戦争特需から産業が発展し、その後戦争終結によって景気がやや鈍化している時期である。このあと関東大震災が発生し、世界的には大恐慌に突入してゆくのだが、大正11年はまだ余裕がある状態である。

 

当業者の数は昨年三月末現在二百五十五戸にして、大正八年の同期に比し左表の如く二十六戸、又大正二年末に対し三十五戸の増加を示せり。元来斯業は機械的設備を必要とせず、手工にて容易に製作し得ると、材料たる皮革の価格は現今著しく低落せる為め極めて小資本にて営み得るを以て、近時職工間に独立営業の風あり、従って製造戸数は漸次増加の趨勢にあり。

→大型の設備投資がいらないので、簡単に仕事を始められるため、職工が独立起業する例が増えていると書いてある。

従業職工は九年末六百二十三人(職工三百十六人、徒弟三百七人)にして、八年末に比し約一割二分五年末に対し一割六分の増加を示せり、通常大なる製造業者と雖も使用職工数は二、三十人に過ぎず而も全市を通じて、二、三戸に止まり、大部分は五、六人を使用し規模小なり、機械の利用少なきものなれば足踏みミシンの外は全く手工に依り居れり、左に大正五年以降累年職工徒弟数を挙ぐべし。

右の外之に附随する縫子(女工)の数は詳ならずと雖も恐らく三百人を下らざるならん。
賃金は総て賃仕事にして、俗に『なげ』と称し、各職工は製造業者より給せられたる原料を以て製造し、出来上り個数にて算定せらるるにより、其一ケ月の収入は熟、不熟、作業時間の長短等により一定せざるも、平均一ケ月六七十円にして中には八、九十円に上るものあり。

→鞄製造の出来高払い制度というのは、もうすでにこの頃にあったようだ。資材を支給し、出来高で支払うやりかたは「なげ」と呼ばれていると書いてある。大卒初任給50円くらいの時代なので、月収60円~70円というのは極端に安いわけではなさそうだ。

大阪市の鞄製造業(二) 二、原料

牛馬革は最も主要のものにして共に主として支那、朝鮮より輸移入せらる其他鰐、豚、山羊革等あるも需要極めて少し、大戦後一般皮革の市価、著しく昂騰し、大正三、四月の交にありては牛革(和製)一坪九十五銭、馬革六十五銭に上り、戦前の大正二年に比し、実に牛革二十五割、馬革二十二割の激騰なりしが、財界変動後漸滅し、現下は牛革五十銭、馬革三十三銭となり。其最高時に比し各約五割の低下となれり、裏地材料としては繻子、綿布、麻布等を使用し、繻子は多く京都産なり。 ボール紙は主に広島製を、附属金具は東京、大阪製品を使用し、東京品は品質優良なるを以て一般に歓迎せらる。

→皮革はおもに中国大陸、朝鮮半島からの輸入で、戦争後インフレで値上がりするも、最近では低下傾向であるという。金具は東京で製造されたものが良質だとも書いてある。

 

三、販路

販路は内地を主とす、大正九年には三月二十二万四千円に上り、全産額の六割一分に相当す、就中大手提鞄は約四割の百三十二万八千円に達し、雑嚢の五十万円、小提鞄の四十五万円、トランクの十八万円、抱鞄の九万円等之に相次げり、又仕向地方の割合は毎年多少の変動あるも、最近の実況に依れば九州第一位にして二割七分、中国一割五分、近畿一割五分、台湾、朝鮮二割五分、北国七分、其他一割三分なりと云えり。

→大阪の鞄は主に九州、台湾、朝鮮半島で販売されていたようである。

輸出向は戦時好況後、昨九年に於て前年に比し約二割減となりしも、尚お五年に対して倍加せるの盛況あり、其主なるものは小手提鞄にして九年中三十五万二千円に上り、大手提鞄二十三万八千円、雑嚢九万八千円、抱鞄五万円等之に次げり。

最大得意先は英領海峡殖民地にして、九年の仕向額三十八万二千円に上り、全輸出額の一割九分に相当し。就中小手提鞄は其全輸出額の約四割を占めたり、支那は第二の得意先にして同じく二十一万一千円、英領印度十七万円、比律賓十一万六千円、蘭領印度十一万五千円、香港八万六千円等を主要とす、左に内外仕向別年次表を示すべし

→全体の40%が海外に販売されており、そのうち19%が「英領海峡殖民地」ということなのでシンガポールを中心とするマレー半島に輸出されていたようだ。他に、中国、イギリス領インド、フィリピン、オランダ領インド、香港などの地名が見える。

 

 

四、商況

一昨春財界変動以来輸出向は対外為替の逆調、銀塊の低落に伴うて新規註文手控え勝となり市況沈睡し同年三月の革製鞄(提嚢旅櫃及佩袋を含む)輸出額二十万五千円に達したりしものも、四月に入るや十九万四千円に減じたるを形勢一変の端として爾後著減し、毎年輸出の旺盛期たる十、十一月頃に至るも頗る不況にして、十二月の如き僅々六万二千円に過ぎず、前年同期に対比し七割五分減を示したり、

十年に入るも依然不況を持続し、八月の如き僅々八万八千円となり、前年同期に比し六割五分又其三月に比し実に八割一分と云う驚く可き減少を示せり、現時に於ては主要材料たる牛馬革の価格は最高期たる九年の三、四月の頃に比し約五割方の低落となれるも工賃は容易に引下られず、為に製品は三、四割安を示せるのみ、偶々註文に接するも価格に於て引合わず、特に南洋市場にありては好況時代の思惑により貨物停滞の観ありて註文絶無となり

支那は近年斯業に於て長足の進歩を遂げ、原料の安価、労銀の低価によりて割安に市場に供給せらるるを以て、中等品以下は殆ど本邦品の必要を見ざるに至り、漸次同市場より□逐せられんとする状況なれば、特殊品を除きては輸出全く杜絶せり従って輸出業者は殆ど休業し、内地向に転業せらるものも多し。

内地向は戦時輸出向を主としたる為、漸次品仏底となり、一昨春以来の財界変動の打撃も輸出向の夫れに比較して割合に少く、売行も相当にあり、一時の華美的製品は減少したるも、実用品は漸次需要増加しつつあり、現時に於ても盛況時期の二割減に過ぎず、今是等の状勢を明かにする為め本邦の全革製鞄の輸出額を左に示すべし

→不況でモノが売れず、特に南洋市場はサッパリだと書いている。中国も産業が興ってきており、低賃金で製造するので日本からの輸出が不要となり、輸出業者は国内市場に鞍替えしつつあるとも。なんだか今の日本の状況に似ているように感じる。

 

五、結尾

斯業は戦時中長足の進歩を為し、内外とも需要増加し、将来有望の工業となり、生産組織は規模狭少なる家内的手工業にして、機械動力の利用は絶無なるも、労銀の低廉なりしと、手先仕事の巧妙なる邦人の特性とにより、製品は外国品に比し何等の遜色なきに至りたるは喜ぶべきところとす、

然れども不良の原料を使用し、且つ耕作に手抜を為し、実用に堪えざるものあり、海外に於ける非難少からざるものの如し、是等は全く商業道徳を顧みざるに因るものなるを以て、此点に深く留意し、成るべく機械力を応用し、分業的の多量生産に改めざる可からず、労銀の低廉は以て生産の主要件と為す能わざる現時にありては、一に機械力の応用によりて、原料価格の低下と相竢って其生産費の節約を図り、併せて海外の嗜好に察して販路の拡張を図るを肝要とす。

→工賃は安くても技術く、海外製品に見劣りはしない一方で、いつの世にも手抜きをするヤカラもいて、海外からクレームがあるとも書いている。

 

六、主なる製造業者

中家浅楠(西区新町通三丁目)
由野秀次郎(西区靭下通一丁目)
森川玄司(北区曽根崎中二丁)
吉田重太郎(西区南堀江上通一丁目)
由田庄次郎(南区難波西円手町)
河野松次郎(南区天王寺阿部野筋二丁目)
明石竹蔵(南区瓦屋町一番町)
藤木製鞄会社(東区谷町三丁目)
石橋音次郎(南区田島町)
松本清二(南区田島町)
赤銅由蔵(南区難波稲荷町三丁目)
難波伊三郎(南区難波元町二丁目)
楠井福松(南区難波芦原町)
福尾庄太郎(東区生玉前町)
大塚久吉(南区難波新地三番町)
越野権次郎(南区西関屋町)
森小兵衛(南区瓦屋町四番町)
大槻明平(南区瓦屋町三番町)

→この時代、まだ久太郎町のあたりではなく、瓦屋町あたりに会社が集まっていたようだ。また、会社組織としては藤木製鞄会社しか見えない。

 

【動画】紙袋をリメイクしてバッグを作るまでの一部始終

大阪、八尾のオーダーメイドバッグ制作の専門店J.I.CがUPしている、紙袋をリメイクしてバッグを作るまでの動画です。連続10回の力作ですが、残念ながら動画再生数は悲しい限りです。毎回タイトルを入れるのではなく、YouTubeの連続再生機能を使って切れ目なく再生したほうがよかったのではないでしょうか。

あと、どうもカメラを頭に固定して撮影しているようで、画面がぐらぐら動きます。
そのかわりなんとなく作業者が注視しているところがわかります。

こういう感じで伝統的な鞄の制作風景をいろんなひとに記録していってほしいなぁ。

1 合皮の裁断

2 芯の裁断~合皮ゴム糊つけ

3 裏地の裁断

4 紙袋の芯貼り&ビニールフィルムで表面強化

5 合皮のへりを返す

6 裏地作成 最後のほうで、金具用の穴あけ

7 裏地作成 金具取付

8 ようやくミシンで縫製

9 ミシンおよび金具取付

10 完成まで

「カバン=オランダ語起源説」に関する調査

先日、国会図書館関西館に半日ほどこもって、鞄関係の調べものをしてきました。 大した成果は無いのですが後々のメモのために掲載しておきます。 まず、「カバン=オランダ語起源説」に関してなにかネタは無いかと探してきました。

■オランダ語KABAS

まずはオランダ語辞典を探してみます。図書館には『蘭和大辞典』がありました。これは拓殖大学南親会が1943(昭和18)年に編集し創造社が発行した辞典で、戦後になって第一書房が復刊したものです。

オランダ語というのは、幕末から明治にかけて盛んに研究され、オランダ領東インド(インドネシア)との交易の関係などで第二次大戦中においても研究が進んでいたようです。ただし、戦後はすっかりすたれてしまい、現代においても第二次世界大戦中に編纂された辞書が結構重宝されているようです。

さて、早速カバンの起源になったといわれているKABASを引いてみると、たしかにありました。

 Kabas, v. 手提籠,針仕事嚢; –sen, ov. w.
小偸する、くすねる、かつぱらふ、盗む、こそこそ泥棒する

「小偸」とは、盗むの意味。つまりコソ泥です。 手提籠や針仕事嚢がいかなるものかは即断できませんが、ハコっぽい匂いがします。
しかもあまり大きくない感じです。 旅行用トランクのような感じはしませんし、女性のハンドバッグや信玄袋のような感じでもありません。

では、今度は現代の蘭英辞典をひいてみます。
Cassell’s Dutch Dictionary 38th ed.という辞書が蘭和大辞典のそばに置いてありましたのでこれを見てみます。
なんと、オランダ語でkabasの見出しはありません。

ちなみに英→蘭でBagをひくと、

 (1)znw zak, baal, (wei)tas; vangst, geschoten wild o, tableau o; buidel; uier;
~and baggage  (met) pak en zak;

となっていてkabasにあたるものがありません。 あとでネットで調べたところ、kabasというオランダ語は今でも存在しているのですが、それに該当する現代のkabasにあたる英語はどうやら「shopping basket」のようです。もしかしたら上蓋が無いようなカゴ状のようなモノをイメージした方が良いかもしれません。

…とまぁ、この辞書だけ見ると、オランダ語起源説はどうも怪しげなのですが、ちょっと視点を変えて、鞄ではなく、 幕末から明治初期の軍隊の服装に注目してすこし調べてみたところ、オランダ語起源説も捨てがたいという気持ちにもなりました。結論から言うと、様々な言葉が混在していて混迷を極めているように感じます。

いままで全く検索したことが無かったのですが、幕末歴史マニアとかミリタリーマニアといった趣味の方々が結構ディープな情報をWebで公開されています。彼らの関心は服装や装備なので、鞄となるとちょっとテリトリーから外れるようです。また、幕末の武士の写真なども、鞄等は持っていないものが多いので、実態がわからないというものも多いようです。

■弾薬嚢=パトロンタス

歴史群像編集部の「全国版 幕末維新人物事典」等によると、弾薬嚢、胴乱のことを幕末の一時期パトロンタスと言った時期があるようです。さてこのパトロンタスですが、これがどこの言葉なのかの同定が意外と難しい。

The Dictionary of the Scots Language (DSL) でPatrontashを検索すると、

Patrontas(c)h(e, n. Also: patrin-, padron-, and Paterntash.
[Du. patroon-tasch, Germ. patronentasch, cartridge-pouch or -bag, f. as Patro(u)n(e n.2 Only Sc.]

A case or pouch for holding cartridges.

A black leather bag wherein is ane broydered patrontasch; 1685 Soc. Ant. LVIII. 356.
Two hundered patrontashes for musketts … and two hundered baggonets; 1689 Acts IX. 83/1.
Of the outreikers … who are deficient in payment of the souldiers their patrintashes and bagginets; 1689 Edinb. B. Rec. XI. 272.
The petitioner haveing imployed James Turner cabinetmaker for makeing six hundred patrontashes with belts … the hammermen … have … taken away severall of the stans and other materialls he had; 1689 Reg. Privy C. 3 Ser. XIII. 541.
Padrontash; 1693 Seafield Corr. 126.
That two hundred firelocks and the lyke number of patrontashes be provyded; 1696 Edinb. B. Rec. XII. 193.
And the patrontashes and holsters … are very insufficient being made up with paper; 1706 Melville Corr. 194.

まず、英語のPatrontashは、オランダ語でpatroon-tasch、ドイツ語でpatronentaschであると書いてあります。 そして用例として1685年以下、1706年のものが書かれています。これは古い英語なのでよくわからないのですが、ホルスターという言葉があるので、きっと火器と関係があるものなのでしょう。
一方、オランダ語でpatroon-taschだということなので、ネットでこの言葉を探してみます。するとなにやらオランダの美術館がヒットします。

http://www.collectie.legermuseum.nl/str.hoefer/strategion/i005358.html

上記リンク先には、1820年代の歩兵用Patroontaschがあると書かれていることから、オランダの装備や言葉としても存在していたことが推測できます。

 

■呉絽服連=grof grein

次に、呉絽服連(ごろふくれん)という服地です。呉絽服連とは、羊毛から作った梳毛糸(そもうし)という糸で織った平地の生地のことで、幕末の官軍から明治文明開化の頃に、軍用の制服として用いられていたようです。

今のウールと違って固くゴリゴリした感触だったようで、ゴロとかゴロフク、あるいは黒いものを黒呉絽(くろごろ)等と呼んでいたようです。この言葉の起源が、grof grein(キメが粗い)というオランダ語だそうで、鞄と違ってかなり確定された説のようです。

ただこの呉絽服連を使って作ったマントというかコートを「レキション羽織」と呼ぶのですが、この「レキション」はフランス語のl’equitation 説がしっくりくるようで一筋縄ではいきません。

 

と、今回はここまでにしておきます。

 

東京鞄商工同業組合沿革史(昭和5年版)

日本の鞄の歴史を調べるうえで重要な資料のひとつである、昭和5年版の東京鞄商工同業組合沿革史がいつのまにか国会図書館の近代デジタルライブラリーに登録されていました。日本の鞄産業の始まりや「鞄」という言葉の発祥などの記述の大半は戦後に改訂増補された東京鞄業界沿革史などに採録されているようですが、重要なことには変わりありません。

国会図書館にゆかなければ見ることはできないのはいままでと変わりませんが、複写サービスも利用できるので、今までよりはアクセスしやすくなりました。

http://iss.ndl.go.jp/books/R000000008-I000238684-00

ざっと目次を記すと、

  • 總説 鞄業の發現
  • 記念すべき飛躍
  • 目覺しき發達
  • 日淸戰爭前後
  • 鞄業の大成
  • 大正より昭和へ
  • 組合十五年史
  • 前期の成績
  • 後期の成績
  • 創立十五週年記念祝賀會
  • 最近の組合
  • 組合員の製産額
  • 役員更迭一覽
  • 組合の定款、規定
  • カバンの語源
  • カバンとしての胴亂
  • 純日本の旅櫃
  • 鞄の品種と變遷
  • 故老の懷舊談
  • 皮革に就て
  • 組合員名簿
  • 本文記事主要索引

という感じです。