広告

リンク集検索


コンテンツ検索


掲示板

青空文庫の中の鞄

2008/4/5 0:10:57 by 太田垣

明治22年の饗庭篁村の「良夜」に、革提という表現が出てくる。前後の文脈からカバンのような感じであるが、いまひとつ捉えきれない。明治35年の国木田独歩 をはじめ、昭和の初めころまでは、「革包」でかばんという表現を使っていたのがわかる。

それに並行して、宮沢賢治は、大正から昭和にかけて推敲を重ねていた銀河鉄道の夜(1924-1933頃執筆)等では「鞄」という字を使っているし、革トランクという大正10年に上京した際の話も残している。

田山花袋の蒲団(明治40年)では支那鞄、柳行李、信玄袋を分けて書いていることから、この3つは概念的に分けていたことが見て取れる。

良夜 作:饗庭篁村(あえば・こうそん)
初出:1889年(明治22)

予は凱旋(がいせん)の将の如く得々(とくとく)として伯父より譲られたる銀側の時計をかけ革提を持ち、「皆様御健勝で」と言うまでは勇気ありしが、この暇乞(いとまごい)の語を出し終りたる後は胸一杯、言うべからざる暗愁を醸し生じたり。

酒中日記 作:国木田独歩
初出:1902年(明治35)11月 『文芸界』

材木の間から革包(かばん)を取出し、難なく座敷に持運んで見ると、他の二束(ふたたば)も同じく百円束、都合三百円の金高が入っていたのである。

蒲団 作:田山花袋
初出:1902年(明治40)8月 『新小説』

午頃(ひるごろ)に荷物が着いて、大きな支那鞄(しなかばん)、柳行李(やなぎごうり)、信玄袋、本箱、机、夜具、これを二階に運ぶのには中々骨が折れる。時雄はこの手伝いに一日社を休むべく余儀なくされたのである。

執達吏 作:与謝野寛
初出:1909(明治42)年3月14日~17日 読売新聞連載

執達吏は折革包(をりかばん)から書類と 矢立(やたて ) とを出した。

青年 作:森鴎外
初出:1910(明治43)年3月~1911(明治44)年8月 「昴」連載

そこへ純一が待合室で見た洋服の男が、赤帽に革包(かばん)を持たせて走って来た。

風の又三郎 作:宮沢 賢治
初出:1931年(昭和6)年から1932(昭和8年)頃の執筆

もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助(かすけ)がかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎だの耕助だのどやどややってきました。

海亀 作:岡本綺堂
初出:1934年(昭和9)年8月 『日の出』

僕は美智子の革包をさげ、妹は小さいバスケットを持って、その草市の混雑のあいだを抜けて行くと、美智子は僕をみかえって言った。

鞄関係の話題 |

この記事へのトラックバック=>http://japanbag.com/2008/04/215/trackback

コメントをどうぞ Leave a Comment

Please note: コメントの投稿が可能です。管理人が確認のうえ、公開いたします。Comment moderation is enabled and may delay your comment. There is no need to resubmit your comment.